20年ほど前、
「世界に一つだけの花」が社会現象になりました。
誰もが
「もともと特別なオンリーワン」という言葉に涙し、
多様性を認め合おうとしたはずです。
しかし、今の日本はどうでしょうか。
かつての
「みんな違ってみんないい」という空気は消え
「列を乱さないこと」
「みんなと同じであること」に
大人も子どもも必死になっているように見えます。
なぜこれほどまでに余裕が失われたのか。
4児の母として
そして情操教育を学んだ一人として
今の政治が作り出す分断と、
私たちが守るべき『心の余白』について綴ります。
「みんな違ってみんないい」が死語になる。多様性が逆行する日本の現在地
かつて私たちは「オンリーワン」を信じていた
20年前ほど前、
私たちは当たり前のように
『世界に一つだけの花』を口ずさみ
「もともと特別なオンリーワン」という言葉に救われていました。
金子みすゞさんの
「みんな違ってみんないい」という詩が
教科書やポスターにあふれ、
社会全体が多様性という輝かしい未来へ向かっている。
そんな錯覚すら抱いていた時代がありました。
しかし2026年。
今、私たちの目の前にある光景はどうでしょうか。
かつての温かな寛容さは影を潜め、
社会は驚くほどの速さで「逆戻り」を始めています。
異論を許さない「静かな排除」
先日、私はたった4人のデモに参加しました。
そこで感じたのは、
かつてのような
「意見のぶつかり合い」ではなく
もっと冷静で剥き出しの「拒絶」でした。
通り過ぎる若い世代からの冷ややかな視線。
わざと大きな音を立てて閉められる車のドア。
そこには「自分たちと違う考えを持つ者」を、
同じ社会の構成員として認めない、
透明な壁がありました。
「列を乱すな」
「正解以外は認めない」
「政治を批判する奴は排除していい」。
そんな空気が、
今の日本を支配し始めています。
多様性という言葉は、
いつの間にこれほどまでに形骸化し、
死語となってしまったのでしょうか。
政治がつくる「競争」と「支配」。家庭にまで染み出す同調圧力の影
政治が作り出す「分断の雛形」
なぜ、これほどまでに息苦しいのか。
その根源の一つは、
政治の世界にあるのかもしれません。
一票を得るために
誰かを激しく揶揄する。
政党が違えば睨みつけ
SNSで中傷を扇動し、
異論を唱える者を「反国民的」であるかのように仕立て上げる。
トップに立った者たちが、
「やられたらやり返せ」
「強いものだけが正義だ」
という価値観を剥き出しにしているのです。
リーダーたちが示しているこの
「分断の作法」は、
知らず知らずのうちに
私たちの家庭や教育現場にまで染み出しています。
子どもたちが「生きづらい」本当の理由
- 「不登校は義務教育違反だ」と責める声
- 「いじめられたらいじめ返せ」という教育
- 「暇なら勉強したら?」と、余白を奪う親の支配
これらはすべて、
今の政治が推奨する
「競争と管理」の縮図に他なりません。
大人が「他者を認める余白」を失った結果、
子どもたちは、
少しでも列からはみ出せば
排除されるという恐怖の中で生きています。
不登校や拒食症といった叫びは
この歪んだ社会への
「命の抵抗」なのかもしれません。
政治家たちが「理想」を押し付け
国民を一つの方向へ縛ろうとする姿。
それは、決して遠い世界の話ではありません。
私自身も家庭の中で
「無意識の支配」をしていることに気づき
深く反省した経験があります。
夫が言う
「暇なら掃除したら?」という言葉に
時間を支配されていると感じ、
腹立たしく思っていたのですが、
私もまた子どもに
「暇なら宿題したら?」という
支配の言葉を投げかけていたのです。
誰かを思い通りに動かそうとすること。
「余白(暇な時間)」を操ろうとすること。
こうした家庭内の小さな「支配」の積み重ねが
やがて「列を乱すな」という社会の空気を作り
さらには「国民を管理しようとする政治」を
許してしまう土壌になっているのかもしれません。
情操教育こそが「支配」への最大の抵抗。「みんな違ってみんないい」を取り戻すために
情操教育は、支配への「最後の砦」
私は大学の卒業論文で
「幼児期の情操教育の大切さ」をテーマに研究しました。
情操とは、
「命を尊び、美しいものに感動し、
自分とは違う他者の痛みに涙する力」のことです。
この「心の余白」こそが、
支配や同調圧力に抗うための、唯一無二の力になります。
しかし、いまの日本で真っ先に削られているのが、
この「情操教育」の時間です。
勉強やスポーツの数字で
他人を蹴落とすことに必死になり、
自分の心の声を聴く余裕すら奪われています。
「みんな違ってみんないい」を
学ばないまま大人になった人たちが、
不安に駆られ、
自分と違う存在を攻撃し
排除しようとする。
その連鎖の先に
一体どんな未来があるというのでしょうか。
奪われてはいけない「心の聖域」
今の政治家たちが忘れているのは、
権力で国民を動かすことではなく、
「一人ひとりの尊厳を、謙虚に守る」という姿勢です。
お寺で育った私を
いつも阿弥陀さまが見ています。
誰も見捨てない、
誰も裁かない温かな眼差し。
「みんな違ってみんないい」
私たちはもう一度、
教育の真ん中にそのことを置かなければなりません。
自分の弱さを認め
相手の尊厳を敬う。
そんな当たり前の「情操教育」を置き去りにして
勉強やスポーツの数字だけを競わせても
待っているのは殺伐とした未来だけです。
国を率いる人たちにこそ、
この「心の余白」を持ってほしい。
自分とは違う意見を持つ人を排除するのではなく、
同じ国民として慈しむ。
その謙虚さがなければ、
この国から「人権」という言葉は
やがて消えてしまうでしょう。
「世界に一つだけの花」に心を打たれたあの純粋な気持ちを
もう一度思い出すべきではないでしょうか。
そして
子どもたちのそれぞれの種が
色とりどりの花を咲かせるように
誰もが認められ、
自信を持って生きていける社会を目指して
この息苦しい時代に対する、
私なりの最大限の抵抗をしていきたいと思っています。
▶「多勢に無勢で一人を笑う」国会での「いじめの肯定」
▶日本の政治は多様性を消していく。
だから、いじめ被害者が逃げなければならない。



