「どうして、いじめる側はそのままで
いじめられる側が逃げなければならないのか」
この問いを持ったことがある人は
きっと少なくないと思います。
本来なら、
守られるべきは傷ついた側のはずです。
それなのに現実は、
「環境を変えるのは、
いじめられた側」
そんな構造になっていることに、
私はずっと納得がいきませんでした。
社会は「どちらも受け入れる」前提でできている
ひとつ感じているのは、
社会は
いじめる側もいじめられる側も
「どちらも排除しない」前提で
成り立っているということです。
どちらか一方だけを切り離すことは難しい。
その結果、
「その場から離れる」という選択が
いじめられている側に委ねられてしまう。
これは、とても苦しい現実です。
不登校は「逃げ」とされてしまう
学校という場所では、
今もなお
「不登校=逃げ」
という見方が残っています。
本当は、心を守るための行動であるはずなのに、
「行けないこと」よりも
「行かないこと」が問題にされてしまう。
だから子どもは、
苦しくても
無理をしてても
「行かなければいけない」と思ってしまうのです。
家庭の中にある”見えない圧力”
そしてもうひとつ大きいのが、
家庭の中にある価値観です。
- いい学校に行くこと
- レールから外れないこと
それが「正解」だと信じていること。
子どもが立ち止まることや、
休むことを許せなくなってしまう。
気づかないうちに、
「こうあるべき」という思いを
子どもに押し付けてしまうこともあるのではないでしょうか。
三年間の受験が教えてくれたこと
私の長男は、二浪しました。
本来なら一年で終わる受験を、
三年かけることになりました。
その間、彼はずっと苦しんでいました。
自分がどうしたいのかわからない。
納得できないまま進むことへの違和感。
その思いが、怒りとなって
私にぶつけられることもありました。
たとえ合格しても、
納得できない。
そんな状態だったのです。
でも三度目の受験で、
第一志望ではなかったものの、
「これでいい」と
自分で納得して終えることができました。
あの三年間は、
遠回りではなかったと思います。
むしろ、
自分と向き合うために
必要な時間だったのだと感じています。
「一年遅れること」が許されない社会
日本では、
- 一年遅れること
- レールから外れること
に対する不安がとても強いと感じます。
まるで、
決められた道を外れることが
「失敗」であるかのように。
でも本当にそうでしょうか。
海外との価値観の違い
カナダに住む長女が、
こんなことを話してくれました。
「日本ではどこの学校を出たかを聞かれるけど、
こっちは『どんなユニークなことをしたか』を聞かれるよ」
この言葉を聞いたとき、
とても考えさせられました。
どのレールを通ってきたかではなく、
どんな経験をしてきたか
どんな風に考えてきたのか
そこに価値を見出す社会。
どちらが、子どもにとって
生きやすいのでしょうか。
いじめの問題は「社会の問題」でもある
いじめや不登校の問題は、
個人の問題ではなく、
社会全体の価値観とも深くつながっているように思います。
「なぜ逃げるのは被害者なのか」
その問いの奥には、
変わらない前提や
見直されていない価値観があるのではないでしょうか。
子どもに伝えたいこと
だからこそ私は、
子どもたちにこう伝えたいと思っています。
「逃げていい」
「立ち止まっていい」
そして、
自分のペースで
自分の人生を歩んでいい
そう思えることが、
どれだけ大きな安心になるか。
おわりに
いじめをなくすことは
簡単ではありません。
でも、
見方を変えること
価値観を見直すことはできるはずです。
「なぜ逃げるのは被害者なのか」
その違和感を持つこと。
そして、
子どもの道を前もって決めすぎないこと。
その小さな意識の変化が、
やがて
多くの親の価値観を変え
学校の在り方を変え
日本の教育を変えていくのかもしれません。
子どもたちが、
安心して
自分の道を選べる社会になりますように。

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