子どもが不登校になった時、
「なぜ学校へ行けないのだろう」
「何が原因なのだろう」
そう悩む親は多いと思います。
でも私は最近、
学校へ行けなくなる子ども達の中には、
”人の気持ちを深く感じ取れる子”が
多いのではないかと感じています。
空気を読みすぎる。
誰かが傷ついていると苦しくなる。
自分より周りを優先してしまう。
それは「弱さ」ではなく、
本来は、人を支えたり、
誰かを引き立てたりできる
大切な能力なのではないでしょうか。
けれど今の社会は、
まだその能力をうまく評価できません。
だからこそ、せめて親だけは、
その優しさを見逃さないでいてほしい。
競争の中で、
その子の大切な心まで削らせないでほしい。
この記事では
子どもの評価されていない
「思いやり」という能力について書いています。
「優しい子に育ってほしい」と願う社会
「優しい子に育ってほしい」
きっと、多くの親がそう願っていると思います。
友だちを大切にできる子。
人の痛みに気づける子。
困っている人に手を差し伸べられる子。
本当は、そんな子どもたちが増えてほしいと、
みんな願っているはずです。
でも現実の社会はどうでしょうか。
競争社会で評価される能力
学校では、
「あの子より良い点数を」
「あの子より速く」
「あの子より上手く」
競争の中で評価されることが多い。
勉強もスポーツも、
順位がつきます。
もちろん努力は大切です。
向上心も、生きていく力になります。
けれど私は時々、
「思いやり」は、
能力として扱われているだろうか。
そう感じるのです。
思いやりも本来は”能力”のはず
人の気持ちを想像できること。
争いが起きないように考えられること。
誰かの小さな異変に気づけること。
それは本来、
とても大切な力のはずです。
社会の中で人と人を繋ぎ、
傷ついた人を支え、
対立を和らげる力になる。
なのに、その力は「見えにくい」というだけで、
評価されにくい。
私がHSPだから気づいた繊細な人の能力
私は最近
自分のHSP気質が
特別な能力だったのだと気づきました。
きっかけは、
友人の言葉でした。
長年、親との関係に
悩み続けていた友人の話を
聞いていた時のこと。
私はただ、相手の気持ちに入り込みながら
「どんな気持ちだったのか」
を一緒に考え、
その時の友だちの行動に
意味があったという思いを伝えました。
すると友人は涙を流しながら
「そんなふうに言ってもらったのは初めて」
そう言ったのです。
私はずっと、
人の気持ちを深く考えながら話を聞くことは、
誰にでもできることだと思っていました。
でも、そうではなかった。
それは”特性”であり
ひとつの「能力」だったのです。
HSCの子ども達が学校で苦しくなる理由
HSCの子どもたちも、
きっと同じです。
人の空気を敏感に感じる。
相手の気持ちを考えすぎる。
誰かが傷ついていると、
自分まで苦しくなる。
その優しさゆえに、
学校という集団の中で
疲れ切ってしまう子もいます。
そして時には、
学校へ行けなくなってしまうこともある。
私はそこに、
今の社会の大きな矛盾を感じています。
本来”能力”であるはずのものが、
「気にしすぎ」
「弱すぎる」
「合わせられない」
そんなふうに扱われてしまっている。
もし学校が、
勉強だけではなく、
スポーツだけではなく、
「人の気持ちを考えられる力」
「争いを避けようとする力」
「思いやりを持てる力」
そういうものも、
”その子の大切な才能”として
認められたらどうだろう。
「思いやり」を見える化できないだろうか
私は時々、
IQテストのように、
「思いやり」や「共感力」も、
社会がもっと価値として
見える化できないだろうかと
思うことがあります。
もちろん、
人の心は点数だけでは測れません。
でも今は、
勉強やスポーツだけが
「能力」として表に出て、
思いやりの力は、
見えないまま埋もれてしまっている。
だからこそ、
苦しむ子どもたちが
いるのではないかと思うのです。
優しい子が守られる社会へ
思いやりは、競争には向いていません。
でも、
「どうすれば誰も傷つかないか」
「どうすれば争いが起きないか」
それを考えられる子どもたちは、
確かに存在しています。
私はそういう子どもたちの立場が、
もっと守られる社会になってほしい。
そして、
「学校へ行けない弱い子」
としてではなく、
”社会に必要な力を持った子”
として見てもらえる未来を願っています。
優しさは、弱さではない。
それは、人と人が共に生きていくために必要な、
「大切な能力」なのだと思うのです。
優しさは強さであるという気づき
もし今、
「なぜうちの子は学校へ行けないのだろう」
そう悩んでいる親御さんがいたら
少しだけ視点を変えてほしいのです。
その子は、”弱い子”ではなく
誰かを傷つけないように、
誰かを引き立てようとしてしまうほど、
優しい子なのかもしれません。
今の社会ではまだ、
そういう力は「能力」として認識されにくい。
勉強やスポーツのように、
目に見える評価もされません。
でも、本当は、
人の気持ちを想像できること。
争いを避けようと考えられること。
誰かの痛みに気づけること。
それも社会を支える大切な力だと
私は思うのです。
だからせめて親だけは、
その子を競争の中へ
無理に押し戻さないでほしい。
「どうしてできないの?」
ではなく、
「この子にはどんな優しさがあるのだろう」
そんなふうに見てあげてほしいのです。
その子の優しさはきっと、
誰かを救う力になっているはずです。

▶「みんな違ってみんないい」と言いながら
実際には同調圧力が強くなっている日本社会について


