「いじめに遭ったら、こうすればいい」
そんな言葉を、
これまで何度も目にしてきました。
でも、私の子どもたちは
同じではありませんでした。
同じ家庭で育っても
同じように苦しんでも
選ぶ道はまったく違ったのです。
環境を変えることで回復した娘たち
10年ほど前
娘たちはそれぞれ、いじめを経験しました。
楽しいはずの学生生活は、
苦しさの方が大きくなっていました。
とくに次女は
いじめの期間が長く続いたことで、
心だけでなく体にも影響が出てしまい、
拒食症を患いました。
そんな二人が少しずつ回復していったのは、
いじめられる環境から離れ、
自分を認めてもらえる場所に出会えたときでした。
環境が変わったことで、
ようやく自分らしく笑える時間が
戻ってきたのだと思います。
環境を変えられなかった息子の選択
そして昨年、
次男もいじめに遭いました。
でも、次男は
環境を変えることができない子でした。
HSCの特性があるからかもしれません。
同じ場所で、
同じ服を着て、
同じものを食べる。
そんな変わらない日常の中に、
安心を感じる子です。
学校には、
次男にとっての
「慣れ親しんだ安心」がありました。
そのため、
環境を変えるという選択はできませんでした。
次男は、およそ一年近く
学校に行かず、
家で過ごしました。
そしてーー
もう一度学校に戻るために、
自分の中で
「許す」という選択をしていたのです。
同じ「いじめ」でも違う道を選ぶ子どもたち
子どもは一人ひとり、
それぞれ違う思いを抱えているのだと知りました。
「お姉ちゃんはこうやって乗り越えたから、
次男もきっと同じようにできるはず」
どこかで、そう思っていたのは
私の勝手な思い込みでした。
フリースクールやオンラインの学び、
いくつもの選択肢を用意しました。
「どれか合うものがあればいい」
そんな気持ちでした。
でもーー
どれだけ選択肢を広げても、
次男が選んだのは
「元の学校に戻る」
という道でした。
「こうすればいい」と言えなくなった理由
同じ「いじめ」でも、
選ぶ道はこんなにも違う。
その現実を目の前にして、
私は誰かに
「こうすればいいよ」とは
言えなくなりました。
言えるのは、ただひとつ。
「うちの場合はこうだった」
それも、たった三つの例にすぎない
ということです。
いじめや不登校を一括りにしないでほしい
それでも社会は、
いじめや不登校を
ひとつのものとして
まとめてしまうように感じます。
そして、
当事者ではない人が
簡単に「正解」を語ってしまう。
その言葉に、
違和感を覚えることがありました。
回復の道はその子にしかわからない
「甘えじゃない?」
「義務教育なんだから」
そんな言葉に、
苦しめられている親が
どれほどいるのだろうと思います。
回復の道は、
一人ひとり違います。
そして、
一番近くにいる親でさえも、
本当のところはわからないのです。
本人にしかわからない。
しかもそれは、
今すぐに見えるものではなく、
ずっと先の未来になって、
やっと気づくものかもしれません。
だからこそ思うのです。
正解は、本人にしかわからない。
その前提を社会が知ること。
そして、
「いつでも頼っていいよ」
と受け入れる余白をもつこと。
それが結果的に、
子どもたち一人ひとりを
尊重することにつながるのではないかと感じています。
さいごに
回復の道は、
子ども一人ひとり違います。
その子にしかわからない苦しさがあり、
その子にしか選べない道があります。
だから私は、
「これが正解」とは言えません。
言えるのはただひとつ、
「うちの場合はこうだった」
それだけです。
でもーー
その違いを、
そのまま受け止められる社会であってほしい。
正解を求めるのではなく、
「いつでも頼っていいよ」
と、そっと寄り添える社会であって欲しいと
心から願っています。

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