不登校になると、
子どもの癇癪に悩む家庭は少なくありません。
突然怒り出す。
物を壊してしまう。
どう声をかけても収まらない。
親としては
「どうしてこんなに荒れてしまうのだろう」
そう感じることがあります。
でも私は、ある時こう思うようになりました。
癇癪は、その子の中にたまった”傷”なのではないかと。
癇癪は突然生まれるものではない
癇癪は、ある日突然始まるものではありません。
その子がこれまで経験してきた
- 人間関係での傷つき
- 我慢してきた気持ち
- 言えなかった思い
そうしたものが少しずつ積み重なって、
大きくなっていくものだと思います。
外からは見えなくても、
心の中にはたくさんの傷があります。
そしてそれがあふれた時、
癇癪という形で表に出てくるのだと思います。
学校に行かなくなっても、傷は消えない
学校に行かなくなれば、
楽になると思っていました。
でも実際は違いました。
学校を離れても、
今までの傷が消えるわけではありません。
心の中には、
ずっと残り続けています。
ゲームでさえ、傷を刺激することがある
一見楽しそうに見えるゲームも、
時には子どもをさらに苦しめます。
負けたとき。
それはただの「負け」ではなく、
傷に塩を塗られるような感覚
になることがあります。
ほんの小さなきっかけでも、
心の奥にある傷が反応してしまうのです。
親の言葉も、時に”塩”になる
これはとてもつらいことですが、
親の何気ない言葉も、
時にその傷に触れてしまうことがあります。
励ましのつもりの言葉も、
正論も、
その子の状態によっては
「責められている」ように感じてしまうことがあります。
私も何度も後悔しました。
心の傷を守るために必要だったもの
そんな中で、私が感じたことがあります。
それは
まず傷をこれ以上広げないことが大切だということ。
我が家の場合、それは
学校や社会から一度離れること
でした。
それはまるで
心の傷に絆創膏を貼るようなもの
だったのかもしれません。
「学校から離すなんて」と言われても
親が子どもを学校から離すと、
「甘やかしている」
「逃げている」
そう言われることもあります。
でも、その言葉を気にしていたら
傷に塩を塗り続けることになってしまう
そう感じました。
だから我が家では、
学校には
「病気療養中」と伝えています。
守るための言葉があればいいのに
本当は、
傷ついた子どもを守るための言葉が
もっとあればいいのにと思います。
「頑張れ」ではなく
「戻れ」でもなく
ただ
「今は休んでいい」
そう言える社会であってほしいと願っています。
ここから
少しずつ、
我が家が変わっていった話を書きます。
癇癪が落ち着いたきっかけ
激しい癇癪が続いていた時期、
どうしたらいいのか本当にわかりませんでした。
そんな中で起きたのが、
薬(睡眠薬)の飲み忘れでした。
その日、あれほど続いていたイライラが
嘘のように落ち着いたのです。
そこから薬をやめることにしました。
もちろん、夜はまた眠れなくなり、
昼夜逆転の生活に戻りました。
でも、息子は穏やかに笑って過ごしていました。
その姿を見て、私は気づきました。
「~しなければ」を手放したとき
それまでの私は
- 昼夜逆転はダメ
- 朝起きなければいけない
- 何か頑張らせなければいけない
そんな「~しなければ」に縛られていました。
でも、それを少しずつ手放していきました。
すると、不思議なことに
子どもの状態も変わっていきました。
本当に大切だった3つのこと
いろいろ試してきましたが、
今振り返って思うのは
シンプルなことが一番大切だったということです。
それは
- 食べること
- 眠ること
- 人と話すこと
この3つです。
食べること
好きなものを、食べられる時に食べる。
栄養バランスよりも、
まずは「食べられること」を大事にしました。
眠ること
時間にこだわらず、
眠れる時にしっかり眠る。
昼でも夜でも関係なく、
体が休まることを優先しました。
人と話すこと
誰とでもではなく、
信頼できる人とだけ話すこと。
それだけで、心は少しずつ回復していくのだと感じました。
少しずつ、穏やかに
癇癪は、ある日突然なくなるものではありません。
でも
- 安心できる環境
- 無理をさせない関わり
- 基本的な生活
これが整ってくると、
少しずつ、少しずつ
落ち着いていくように感じました。
最後に
癇癪は、困った行動ではなく
その子の中にある苦しさの表現なのかもしれません。
だからこそ私は、
「止めること」よりも
「守ること」を大切にしたいと思うようになりました。
すぐに変わらなくても大丈夫。
心が安心できる場所があれば、
子どもは少しずつ、
自分の力で前に進んでいきます。


