はじめに
優しい子のまわりには、
自然と人が集まってきます。
それは、とても素敵なことのように見えます。
でもその中には、
少し違う理由で近づいてくる子たちもいると、
私は気づきました。
優しさに飢えている子どもたち
家でも、学校でも、
十分に優しくされていない子どもがいます。
厳しい言葉をかけられていたり、
認めてもらえなかったり。
そんな環境の中で、
「誰かに優しくしてほしい」
「自分も大切にされる存在だと感じたい」
そう思っている子どもたちです。
優しすぎる子どもが選ばれてしまう理由
そういう子どもたちは、
自然と「優しい子」を見つけます。
この子なら受け止めてくれる。
この子なら否定しない。
無意識のうちに、
安心できる相手を選んでいるのだと思います。
親の代わりをしてしまう子ども
そして優しすぎる子どもは、
その期待に応えようとしてしまいます。
本来なら、
大人から受け取るべき優しさを、
代わりに与える側になってしまう。
まだ子どもなのに、
誰かの心を支える役割を背負ってしまうことがあります。
なぜ許してしまうのか
どんなに傷ついても、
「相手にも事情がある」
「本当は悪い子じゃない」
そう考えてしまう。
それは、ただの我慢ではなく、
相手の背景まで見えてしまう
優しすぎる子どもだからこその苦しさです。
優しさが「消耗」に変わるとき
優しさは本来、
人と人をつなぐ温かいものです。
でもそれが一方通行になると、
少しずつ、心をすり減らしていきます。
気づかないうちに、
我慢が当たり前になり、
傷つくことに慣れてしまう。
それでも、優しさをやめられない。
親としての葛藤
正直に言うと、私は悩みました。
その優しさを「すごいね」と
褒めていいのか。
それとも、
「もうやめていい」と伝えるべきなのか。
優しさを否定したくはない。
でも、傷ついてほしくもない。
どちらも本音でした。
不登校という選択
そんな中で、私は一つの選択をしました。
それは、無理にその環境に戻さないこと。
もっと言えば、
「行きたくないなら行かなくていい」というよりも、
「もう行かなくていい」
そう思ったのが正直な気持ちです。
本当に守るべきもの
本当は、
「学校に行くこと」よりも大切なものがある。
それは、
その子自身の心と、優しさです。
優しさは、誰かを救う力になります。
そして私は、
優しさがあるからこそ、
人は本当の意味での幸せに近づけるのではないかと感じています。
だからこそ、
その優しさが
その子自身を苦しめるものではなく、
いつかその子自身を
支えてくれる力になってほしいと願っています。
最後に
優しすぎる子どもは、
人の痛みに気づける子です。
だからこそ、
その優しさに甘えてしまう人も現れます。
でも、
その優しさが
その子自身を苦しめるものであってはいけない。
守るべきなのは、
「環境」よりも「その子の心」だと、
私は思っています。

▶この問題は、
当事者だけのものではないと感じています。
「自分には関係ない」と思ってる人にこそ、知ってほしいこと。


