最近、親子関係が上手くいかない高齢の方の悩みを聞きました。
親子なのに、なぜか話しかけることが怖い。
何かを言えば怒られる気がする。
「どうして怒っているの」と親が聞いても、
息子のほうは、「うるさい」としか言わない。
そんな関係を見ていると、
私は「親に否定されて育つということ」について考えずにはいられません。
子どもは、親に否定されていることがわかる
私はその親に、
こんなことを話しました。
「もしかしたら、自分の子どもの行動を、心の中で否定していませんか」
子どもは、親が思っている以上に、
親の気持ちを感じ取ります。
言葉に出して「ダメ」と言わなくても、
「そんなことをして何になるの?」
「そんなことより、もっとこうしたほうがいい」
「昔はそんなことをしなかった」
という気持ちは、案外伝わってしまうものです。
もちろん、親にも親の考えがあります。
子どものためを思っているからこそ、
心配になることもあります。
「このままで大丈夫なの?」
「本来やるべきことを忘れていない?」
「そんなことをして将来困らない?」
そう思うことは、決して悪いことではありません。
でも、子どもからすると、
「自分の大切にしているものを、お母さんは認めてくれない」
という感覚になってしまうことがあるのではないでしょうか。
「昔から大切にしてきたもの」と「今、大切にしたいもの」
私の身近なところでも、昔から大切にされてきた場所に、
新しい役割を加えようとしている人がいます。
ずっと親しまれてきたお寺という場所を、
地域の人が集まれる場所にしたり、
カフェを開いたり、
地域のものを使った商品を作ったり、
子どもたちが楽しめる場所にしたり。
いろいろな取り組みがあります。
でも、昔からその場所を守ってきた人にとっては、
「本来の役割がおろそかにならないだろうか」
と心配になることもあるでしょう。
一方で、新しいことを始める人には、
「今の時代だからこそ、できることがある」
という思いがあります。
私は、どちらが正しいとも思いません。
昔から大切にしてきたものを守る気持ちも、
新しいことを始めようとする気持ちも、どちらも本物だからです。
ただ、そこで私は思いました。
「正解は一つではない」
ということを。
親子でも価値観が違っていい
私は、夫婦でも親子でも、
「こう考えるのが正しい」
と一つに決めてしまうことが苦手です。
人によって大切なものは違う。
育ってきた環境も違う。
経験してきたことも違う。
だから、同じものを見ても感じ方が違うのは当たり前です。
私は、夫にも私と同じ考えになってほしいとは思いません。
夫には夫の考えがある。
私には私の考えがある。
その違いを認めながら、
一緒に生きていけばいいと思っています。
でも、子どもに対しては、少し違います。
私は、
子どもがやりたいと思ったことを、
できる限り100%応援できる親でありたい。
そう思っています。
子どもの「やりたい」を100%応援したい
もちろん、人を傷つけることや危険なことまで、
何でも認めるという意味ではありません。
社会のルールを教えることも親の役目です。
でも、それ以外のことなら、
「やってみたい」
「これが好き」
「こんなことをしてみたい」
という子どもの気持ちを、まず受け止めたい。
親から見れば、
「そんなことをして何になるの?」
と思うことでも、子どもにとっては、
とても大切なことかもしれません。
親が良いと思うものと、
子どもが良いと思うものは違う。
だから私は、そこに自分の価値観をできるだけ差し込みたくないと思っています。
「それ、いいね」
「やってみたら?」
「おもしろそうだね」
「すごいね」
そうやって応援してあげたい。
なぜなら、子どもに100点満点で、
「すごいね」
と言ってあげられるのは、
親だからこそだと思うからです。
子どもの自信は、どこから生まれるのだろう
子どもは、外の世界に出れば、
たくさん評価されます。
学校では成績をつけられる。
スポーツでは順位がつく。
友達から評価されることもある。
失敗すれば注意されることもある。
大人になれば、仕事でも評価されます。
そんな世界で生きていくために必要なのは、
「失敗しない自分」ではなく、
「失敗しても、自分は大丈夫だと思える力」
なのではないでしょうか。
うまくいったときだけ、
「すごいね」
と言ってもらえるのではなく、
うまくいかなかったときにも、
「大丈夫だよ」
と言ってもらえる。
何かができなくても、
「あなたは大切な子だよ」
と思ってもらえる。
その経験が、心の土台になるのではないかと思っています。
家だけは「否定されない場所」であってほしい
外の世界では、思い通りにならないことがたくさんあります。
自分の考えを否定されることもある。
頑張っても認めてもらえないこともある。
失敗して怒られることもある。
だからこそ、家の中に一つくらい、
「ここでは自分を否定されない」
と思える場所があってもいいのではないでしょうか。
何をしても褒めるということではありません。
悪いことをしても叱らないということでもありません。
そうではなく、
「あなたが大切な存在であることは、何があっても変わらない」
という安心感です。
私は、それを子どもに伝えたい。
親も「わかっていない大人」になってしまう
とはいえ、私自身も完璧な親ではありません。
「子どもの気持ちを聞こう」と準備しているはずなのに、
いざその場になると、ルールを守らせることに気を取られてしまう。
「どうしてできないの?」
「約束したでしょう」
「こうしたほうがいいよ」
と、いつの間にか「正しい方向」へ導こうとしてしまう。
そして、ついつい、
「分かっていない大人」
になってしまうのです。
だからこそ、私は自分自身にも言い聞かせています。
子どもを変える前に、
まず話を聞こう。
正解を教える前に、
その子が何を大切にしているのかを知ろう。
親の価値観を押しつける前に、
「あなたはどうしたい?」
と聞こう。
子どもにとって「絶対的な味方」がいること
子どもが自信を持って生きていくためには、
「自分は大丈夫」
と思える場所が必要なのだと思います。
外でどんなことがあっても、
「お母さんは味方だよ」
「あなたのことを大切に思っているよ」
と言ってくれる人がいる。
それだけで、人はまた立ち上がれることがあります。
だから私は、
子どもが何かを頑張っているときには、
できるだけ100%応援したい。
たとえ、それが私の望んでいたことと違っていても。
たとえ、私にはその価値がよくわからなくても。
「あなたが大切にしているものなら、私は大切にするよ」
と言える親でありたいと思っています。
自分で決める力は、安心できる場所から始まる
子どもが自分で考え、
自分で決めて、自分の人生を歩いていく。
それが自立なのだと思います。
でも、自分で決めるためには、
「失敗しても大丈夫」
「お母さんは見捨てない」
という安心感が必要なのではないでしょうか。
帰る場所があるから、外へ出ていける。
失敗しても受け止めてもらえるから、挑戦できる。
甘えることができるから、
自分から離れていくことができる。
私は、そんなふうに思っています。
子どもを自立させるために、
早く手を離さなければならない。
そう考えるのではなく、
安心して甘えられる時間も、
その子の自立の一部なのかもしれません。
次の記事では、私が次男との子育てを通して感じた、
「甘えさせることは、甘やかすことではない」
ということについて書いてみたいと思います。
子どもが何もできなくなったとき、
私はためらわずに手を貸しました。
その経験から、私自身もたくさんのことを教えてもらいました。

