一年前の今、私は「しつけ」を捨てていた
一年前の今ごろ、
次男はゲームばかりしていました。
ゲームに負けると癇癪を起こし、
コントローラーを投げて壊す。
勉強の話を少しでもすると、
大声で叫ぶ。
心が壊れて、目は虚ろ。
頭痛がして、
蕁麻疹まで出ていました。
不登校の子どもに、正しさを押しつける余裕はなかった
日常生活もままならない状況。
そんな状態の子どもを前にして、
「こうするのが正しい」
「学校に行かせなければ」
「勉強させなければ」
「ゲームをやめさせなければ」
そんなことは、
私にはとても考えられませんでした。
正直に言えば、
子育てで大切だと思っていた知識が
全く通用しませんでした。
それどころか、
息子の命を守るために、
自分の気持ちを押し殺して、
しつけを頭から捨てていました。
夜は目を閉じることを怖がり
ずっと明るいリビングで起きていて、
ゲームやYouTubeを見続ける毎日でした。
でも、そのときの私には、
それを止める余裕がありませんでした。
息子は、自分の頭でいろいろなことを考え続けているように見えました。
今までの後悔や罪悪感、傷つきを繰り返し、思い出しているようでした。
だからこそ、
私の思想や「こうしたほうがいい」という助言さえ、
邪魔になるような気がしたのです。
まずは、生きていること。
そして、心をこれ以上壊さないこと。
それだけで精一杯でした。
心が回復すると、子どもは少しずつ変わっていった
そして一年。
今、息子は自分から
「塾に行きたい」
と言うようになりました。
学校も塾も、
もしかしたら「中途半端」になるかもしれないと思っていました。
そして今、
毎日きちんと行けているわけではない。
五月雨登校です。
でも、私は今の息子を見て、
これで100点だと思っています。
「学校を休んだ日はスマホは見れないよ」と言えるようになった
何より大きな変化は、
私が息子に少しずつ「注文」をつけられるようになったことです。
たとえば、
「学校を休んだ日は、スマホは見れないよ」
と言える。
一年前なら、とても言えませんでした。
そして、今の息子は癇癪を起こさない。
私の言葉を受け止められるようになった。
私は、それを「言うことを聞くようになった」とは思っていません。
私を信頼してくれるようになったのだと思っています。
「話せば、自分の思いが通る」という安心感
昨日も、
「理科の先生が理不尽だから行きたくない」
と息子が言いました。
私は、
「じゃあ、3時間目から行こうか」
と答えました。
全部休ませるわけでもない。
無理に朝から行かせるわけでもない。
息子の話を聞いて、一緒に考えて決める。
私は、
「話せば、自分の思いを聞いてもらえる」
という経験も、とても大切だと思っています。
100%認めてもらえる。
自分の気持ちを否定されない。
だからこそ、息子は素直に相談して、
一緒に決められるようになったのではないでしょうか。
五月雨登校の今が、息子にとっての100点
今日も、息子は
「保健体育と給食は、先生とのことでトラウマがある」
と言って、2時間だけ学校へ行きました。
以前の私なら、
「2時間しか行けなかった」
と思ったかもしれません。
でも今は違います。
2時間行けた。
自分の苦手なことを言葉にできた。
どうするかを自分で考えた。
そして、実際に学校へ行った。
私は、それで十分だと思っています。
五月雨登校の今が、
息子にとっての100点。
学校に毎日朝から行くことが100点なのではありません。
「今の自分にできること」を、
自分で考えながら選んでいる。
私は、その姿を100%認めたい。
子どもを100%認めることと、何でも許すことは違う
一年前、私は「しつけ」を捨てました。
でも、捨てたことで失ったものばかりではありませんでした。
息子の心が少しずつ回復して、
「お母さんに話してみよう」
と思えるようになった。
そして今、私はようやく、
「これはやめようね」
「これはこうしよう」
と、親として注文をつけられるようになった。
それは、息子が私に従うようになったからではありません。
安心して私の言葉を受け止められるくらい、
親子の間に信頼が戻ってきたからなのだと思います。
100%認める。
でも、何でも許すわけではない。
子どもの気持ちを100%受け止めながら、
一緒に考える。
その土台ができたとき、
子どもは少しずつ、
自分の人生を自分で選び始めるのかもしれません。
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▶子どもを100%認めることについて、
もう少し書いています


