甘えさせることは、甘やかすことじゃない――「見捨てられない安心感」が子どもの自立を育てる

不登校

子どもを自立させるためには、
できることは自分でやらせたほうがいい。

「もう自分でできるでしょう」

「いつまでも甘えていてはいけないよ」

子育てをしていると、そんな言葉を耳にすることがあります。

私も、子どもが小さい頃には、
そう思うことがありました。

でも、次男が心身ともに苦しくなり、
何もできなくなった時期を経験して、
私の考えは少し変わりました。

いや、もしかすると、変わったというより、

もともと自分の中にあった子育ての考えが、
次男との経験によって確かなものになった

のかもしれません。

私は幼児教育を学んできました。

だから、子どもが安心して甘えられることが、
その後の自立につながるという考えには、
以前からどこか納得するものがありました。

そして今、次男との子育てを振り返ると、

「やっぱり、そうだったんだ」

と思うのです。

次男が何もできなくなったとき

次男が一番苦しかった頃、
日常生活のことさえ、何もできなくなりました。

歯を磨くこともできない。

髪を洗うこともできない。

お風呂に入ることもできない。

勉強も、お手伝いもできない。

以前なら当たり前にできていたことが、
何もできなくなってしまったのです。

そんな姿を見たら、

「このままで大丈夫なの?」

と不安になる親も多いと思います。

私も心配ではありました。

でも、私はそのとき、

「自分でやりなさい」

とは思いませんでした。

今できないなら、私がやればいい。

そう思っていました。

「大人になってもできなかったらどうしよう」

という心配も、ほとんどありませんでした。

今は、私がやってあげればいい。

それだけでした。

髪を洗って、乾かして、たくさん褒める

たとえば、髪を洗うことができない日。

私は、いつもより丁寧に髪を洗ってあげました。

きれいに乾かして、櫛でとかしてあげる。

そして、

「サラサラじゃん。イケメン!」

と褒める。

本人が何もできないことを責めるのではなく、

今、私がしてあげられることで、
少しでも気持ちが明るくなるようにする。

そんなことを考えていました。

眠れない夜には、
マンガを買ってきてあげることもありました。

すると、次男はものすごい速さで読んでしまう。

「え?もう読み終わったの?」

「それだけ早く読めるって、速読できるんじゃない?」

そう言うと、次男は少し嬉しそうにする。

私は、そんな小さなところから、

「あなたには、こんなところがあるよ」

と伝えていました。

できないことを数えるのではなく、

できたこと、得意なこと、
面白いところを見つける。

それなら、私にもできました。

「できない子」にしない

子どもが何もできなくなったとき、親はつい、

「これもできない」

「これもしなければ」

と、できないことに目が向いてしまいます。

でも、本人はもう十分に苦しんでいる。

そこへ、

「どうしてできないの?」

「これくらいできるでしょう」

と言われたら、
自分を責める気持ちがもっと強くなってしまうかもしれません。

だから私は、できないことを見ないようにしました。

それよりも、

「今日はここまでできた」

「こんなことができるんだ」

「ここ、すごいね」

と、できたことを見つける。

100点を取れたら褒めるのではなく、

その日の本人の頑張りを100点として認める。

それが私の子育てになっていきました。

「お母さん、一生のお願い」

今でも次男は、冗談っぽく、

「お母さん、一生のお願いだから、お風呂洗ってきて」

「お母さん、一生のお願いだから、ご飯作って」

と言ってくることがあります。

私は、

「はいはい」

とやってあげる。

そして、思うのです。

これでいいんじゃないかな、と。

「自分でできるんだから、自分でやりなさい」

と突き放すことだけが、自立ではない。

甘えたいときに甘えられる。

助けてほしいときに助けてもらえる。

できないときには、誰かが手を貸してくれる。

そんな経験を十分にした子どもだからこそ、

「今度は自分でやってみよう」

と思えることもあるのではないでしょうか。

「甘えさせること」と「甘やかすこと」は違う

私は幼児教育を学んできたので、
以前から「甘え」の大切さについては学んできました。

今回、改めてそのことを考えるきっかけになったのが、
NHKエデュケーショナルの「すくすく子育て」で紹介されていた研究です。

そこでは、幼稚園の3歳児クラスを比較した保育観察が紹介されています。

一方のクラスでは、
子どもの甘えを受け入れ、
ボタンを留めたり靴下を履き替えたりすることを先生が手伝いました。

もう一方のクラスでは、
「自分のことは自分でやりましょう」と言葉で促し、
手伝わないという対応をしました。

その結果、甘えを受け入れてもらったクラスでは、
先生への信頼感が育ち、
「自分でやってみよう」という意欲が育ったと紹介されています。

この記事を読んで、私は思いました。

「やっぱり、そうなのね」

子どもは、甘えさせてもらったら自立できなくなるのではなく、
安心して甘えられる場所があるからこそ、
自分から挑戦できる。

NHKの記事でも、甘えによる愛着関係が「安全基地」となり、
失敗したときに戻ってきて、
また挑戦することにつながると説明されています。

もちろん、何でも子どもの言う通りにすることと、
甘えを受け止めることは同じではありません。

でも、

「助けて」と言ったときに助けてもらえる。

その経験は、子どもの心に大きな安心感を残すのではないでしょうか。

「見捨てられない」という安心感

私が次男に一番伝えたかったのは、

「何もできなくなっても、お母さんはあなたを見捨てない」

ということでした。

勉強ができなくてもいい。

お手伝いができなくてもいい。

お風呂に入れなくてもいい。

学校に行けない日があってもいい。

今できないことがあっても、

「あなたは大丈夫」

と言ってくれる人がいる。

その安心感が必要だったのだと思います。

子どもが一番苦しいときに、

「将来、自立できるように今から厳しくしなければ」

と考えるより、

「今は私が支えればいい」

と思えること。

私は、それも親の役割なのではないかと思っています。

今の次男に「もっと頑張ろう」と言わない理由

今、次男は学校に行けるようになりました。

毎日完璧に行けるわけではありません。

遅刻することもある。

休むこともある。

でも、私は、

「次はもう少し頑張ろう」

とは言いません。

授業の途中からでも学校へ行った。

そこから部活まで参加した。

眠れない日が続いているのに、
自分なりに学校へ行った。

私は、そこを見ます。

「授業の途中から入っていくって、勇気がないとできないよ。すごいね」

と伝えます。

以前の次男は、
歯を磨くこともできないほど何もできない時期があった。

そこから考えれば、
今できていることは、本当にたくさんあります。

だから私は、

今の自分を100点としていい

と思っています。

「もっと上を目指そう」と言われると、
終わりがありません。

でも、

「今日のあなたは十分頑張った」

と言ってもらえたら、
また明日、自分の力で一歩進めるかもしれません。

レールを引かない

私は、子どもの人生にレールを引きたくありません。

「こうすれば幸せ」

「この学校に行けば安心」

「この仕事なら将来困らない」

親には、いろいろな願いがあります。

でも、最後に人生を歩いていくのは子ども自身です。

だから私は、

「あなたはどうしたい?」

と聞ける親でいたい。

失敗したら戻ってきてもいい。

できなかったら手伝ってもらっていい。

甘えたくなったら甘えていい。

そして、また自分でやってみたくなったら、そのときにやればいい。

私は、それが「自分で決める」ということなのだと思っています。

自立させるために、突き放さなくてもいい

子どもを自立させなければと思うと、

「自分でやらせなければ」

「甘やかしてはいけない」

と考えてしまうことがあります。

でも、私は次男との経験を通して、

自立させるために突き放すのではなく、
安心して甘えられるから、自分から離れていける

のではないかと思うようになりました。

帰る場所があるから、外へ出ていける。

失敗しても受け止めてもらえるから、
もう一度挑戦できる。

何もできない自分でも見捨てられないと知っているから、
自分の力を試してみることができる。

そんな「安全基地」を、
私は子どもにとっての家庭にしたいと思っています。

そして、子どもがいつか、

「もう自分でできるよ」

と言って離れていく日が来たら、

「そう。じゃあ、やってごらん」

と笑って送り出せる親でいたい。

それまでは、

「一生のお願い!」

と言われたら、

「はいはい。一生のお願いね」

と、もう少し付き合ってあげようと思います。

それもきっと、いつか終わってしまう、
子どもとの大切な時間だから。

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