娘は拒食症が悪化し、
約100日間の入院生活を送りました。
そこでは、三食の食事をとり、体重を増やしながら、
少しずつ日常の生活を取り戻していきました。
でも、母親の私には最後まで理解できないことがありました。
「太ることが、どうしてそんなに怖いのか」
健康な私には、その恐怖を想像することさえ難しかったのです。
「太ること」が、こんなに怖いなんて
入院中、娘からメールが届くことがありました。
そこには、
「太る」
という言葉が、何度も何度も書かれていました。
一度のメールに、同じ言葉が100回くらい並んでいたこともあります。
私は、そのメールを見ながら、
「大丈夫だよ」
「身体に必要なんだよ」
と返すことしかできませんでした。
今振り返ると、私は娘の恐怖を理解できていなかったと思います。
「太るのが怖い」と言われても、
健康な私には、
「食べても動けば消化する」
という気持ちが、どうしてもどこかにありました。
でも、娘にとっては、
食べること=太ること
そして、
太ること=どうしても避けなければいけないこと
になっていたのだと思います。
頭では「病気なんだから」と思っていても、
その恐怖そのものを私は感じることができませんでした。
医師から聞いた、拒食症についての衝撃的な言葉
入院した娘を前に、医師から病気について説明を受けました。
そのとき、
「拒食症の患者の脳は、痴呆症患者と同じように脳が萎縮しているのです」
という趣旨の説明を受けました。
その言葉は、私にはとても衝撃的でした。
娘の身体が痩せてしまっていることは、もちろん分かっていました。
でも、
「頭の中まで、こんな状態になっているの?」
と思ったのです。
そして、同時に少し納得するところもありました。
元気だった頃の娘なら、
私の話を聞いて理解できていたことが、
今はどうしても伝わらない。
「身体に必要だから食べよう」
と言っても、
「でも太る」
となってしまう。
今までの娘とは、何かが違っていたのです。
もちろん、当時医師から受けた説明を、
私は医学的な知識として語れるわけではありません。
ただ、あのときの私は、
「娘は今、病気の中にいるんだ」
ということを、初めて強く感じました。
拒食症の入院生活は、「三食食べること」との戦いだった
入院すると、娘には三食の食事が用意されました。
健康な私からすれば、
「三食食べる」
それだけのことです。
でも娘にとっては、それが大きな闘いでした。
最初はベッドの上で過ごす時間がほとんどでした。
身体を休ませることが優先されます。
そして、食事をして、少しずつ体重が増えていく。
その経過を見ながら、できることが少しずつ増えていきました。
ほんの少し体重が増えると、
ストレッチの時間ができる。
さらに増えると、
短い時間だけ歩ける。
また少し増えると、
数時間だけ外に出られる。
そして、外泊ができるようになる。
つまり、
食べることができなければ、
身体を動かすことも、外に出ることもできない。
そんな入院生活でした。
「外に出たいなら、食べなければいけない」
健康な私からすれば、当たり前のことです。
でも娘にとっては、
「外に出たい」
という気持ちと、
「食べるのが怖い」
という気持ちが、いつもぶつかっていたのだと思います。
拒食症の娘にとって、「食べること」は本当に怖かった
今でも私は、拒食症という病気を完全に理解できているわけではありません。
ただ、あの頃よりは少しだけ、
「娘にとっては、本当に怖かったんだろうな」
と思えるようになりました。
食べればいい。
体重を増やせばいい。
元気になれば、またバレエができる。
私はそう考えていました。
でも娘の中では、
「太ることへの恐怖」
が、それ以上に大きかった。
だから、
「食べなさい」
と言われても、
「はい、分かりました」
とはならない。
それは、単なるわがままでも、反抗でもなかったのだと思います。
病気が娘の考え方を大きく支配していたのです。
「ディズニーランドに行こうね」と言ったら
入院中、私は娘に、
「退院したら、ディズニーランドに行こうね」
と言ったことがあります。
元気になったら、楽しいことをしよう。
そう思っていました。
ところが娘は、
「行きたくない」
と言いました。
私は少し驚きました。
ディズニーランドが嫌いになったのかな。
そう思ったかもしれません。
でも今思えば、娘にとっては、ディズニーランドに行くことよりも、まず、
「太ることへの恐怖から逃れられるか」
のほうが大きな問題だったのでしょう。
楽しいことを考える余裕なんて、なかったのかもしれません。
今の娘は、ディズニーが大好きです。
そして今では、ディズニーのパークダンサーを目指して、
オーディションにも挑戦しています。
あのとき、
「行きたくない」
と言っていた娘が、今は自分からその世界を目指している。
その姿を見ると、不思議な気持ちになります。
そして今、娘が元気になったからこそ、
私はあの頃のことを少しずつ振り返ることができるようになりました。
それでも私は、拒食症という病気を完全には理解できません。
たぶん、これからも全部を理解することはできないと思います。
100日間の拒食症の入院
娘の入院は、約100日間に及びました。
病院には、娘と医師がそれぞれ譲れない体重のラインがありました。
そこまでは、何としても戻さなければならない。
そして、その体重を維持しながら、少しずつ日常を取り戻していく。
食べる。
休む。
体重を測る。
少しずつ動く。
また食べる。
その繰り返しでした。
娘にとっては、毎日が戦いだったと思います。
泣いて過ごしていたと思います。
そして私にとっても、長く苦しい100日間でした。
退院したからといって、
すべてが終わったわけではありません。
退院後も通院を続けながら、
決められた体重を維持していきました。
そして、少しずつバレエにも戻っていきました。
けれど――
戻ったバレエの世界では、
娘がいない間に、
ライバルはずっと先へ進んでいました。
娘は、またそこから追いつかなければなりませんでした。
母親の私には、娘の「太る怖さ」が理解できなかった
この頃の私は、娘の気持ちを分かってあげられなかったと思います。
それでも、
娘を助けたい。
その気持ちだけは、ずっとありました。
今、次男の不登校を見守っている私とは、まるで違います。
次男が学校に行けないときには、
「今は休んでいいよ」
「今のあなたで100点だよ」
と思える。
でも、娘の拒食症のときには、
そういうふうには思えませんでした。
身体が危険な状態にあったからです。
「このままでは死んでしまうかもしれない」
そんな恐怖が、私の中にありました。
だから私は、
娘の気持ちの中に一緒に入っていくことができなかった。
娘の「怖い」に寄り添うより、
「怖くても食べなければ」
と思っていました。
でも、それは仕方なかったのだと思います。
もし私まで、その病気の世界に引きずり込まれてしまったら、
娘を助けることができない。
だから私は、娘の怖さを完全に理解できなくても、
娘の命を守る側にいるしかなかった。
今になって、そう思います。
バレエには戻れた。でも、まだ「太ること」は怖かった
約100日の入院を終え、娘は退院しました。
でも、だからといって
「拒食症が治った」というわけではありませんでした。
決められた体重のラインを維持しながら、通院を続ける。
そして、少しずつバレエにも戻っていく。
それは「元の生活に戻った」というより、
娘と医師が、どうにか見つけた一つの妥協点だったのだと思います。
「これ以上は痩せない」
そのラインだけは守りながら、
少しずつ日常を取り戻していく。
でも、娘の中にあった
「太ることへの怖さ」が消えたわけではありませんでした。
私たちはまだ、緊張の続く毎日の中にいました。
そして、そこからまた、
「自分はどうしたいのか」
を考え始めていったのだと思います。
思うようにいかず、苦しんでいる姿を
私はそばでずっと見ていました。
やがて娘は、
「バレエの名門高校に行きたい」
と言うようになります。
そこから先は、また新しい物語の始まりでした。
病気から回復することだけではなく、
「自分の人生を、自分で決めたい」
という娘の思いが、はっきり形になっていったのです。
次回は、拒食症から回復しながら、
娘が選んだバレエの名門高校と、
親元を離れた寮生活について書きたいと思います。
あのとき娘が書いた、
「行かせてくれてありがとう」
という手紙。
そこには、病気を乗り越えようとする娘の強さと、
「自分で決めたい」
という、一人の人間としての娘の思いがあったのだと思います。
▶どうして娘は、ここまで『痩せたい』と思うようになったのか。
その始まりについては、第1話で書いています。


