はじめに
次女は3歳の頃から、姉と一緒にクラシックバレエを習っていました。
運動神経がよく、柔軟性もあり、
努力しなくてもできてしまうような子でした。
それでも、見えないところで
毎日コツコツ努力を続ける子でもありました。
その姿は誇らしくもありましたが、
同時に、
周囲から嫉妬を受けやすい環境にいた
という事でもあったのだと思います。
病気を知った日
ある日、バレエの先生から突然電話がありました。
「痩せすぎています。
一度、様子を見に来てください。」
慌てて教室に向かった私は、
そこで初めて娘の異変に気づきました。
ほどなくして入院生活が始まりました。
ベッドの上で動かない日々。
「動かない=太る」
「食べる=太る」
娘は、ただその恐怖の中で生きていました。
当時の娘は
「痩せたい」
その一つの目標だけにむかっているように見えました。
本来は、バレリーナになる夢に向かっていたはずなのに。
忘れられない言葉
医師から言われた言葉があります。
「拒食症の患者の脳は、
痴呆症の方と同じように委縮している状態です」
その言葉は、今でも忘れられません。
それほどまでに、
娘の状態は深刻でした。
届かなかった「楽しみ」
私は何か希望になるものを伝えたくて
「治ったらディズニーランドに行こうね」
と声をかけました。
でも娘は、
「行きたくない」
と答えました。
そのとき初めて、
この子はもう「楽しい未来」を想像できない状態なんだ
と気づきました。
安全な場所を求めて
「専門的な環境の方がいいのではないか」
そう考え、娘はバレエ専門学校へ進学しました。
けれど、状況はかわりませんでした。
そこでも、
小さい頃から続いてきた
嫉妬や人間関係の苦しさと向き合うことになります。
今振り返ると
拒食症との闘いは、人間関係との闘いでもあった
そう感じています。
どこへ行っても苦しい現実
専門学校でも状態は安定せず、
良くなっては崩れ、
崩れては戻る
その繰り返しでした。
卒業を前に、バレエ留学を決意しました。
でもそこでも、
日本人の上級生との共同生活の中で
居場所を失ってしまいます。
場所を変えても
同じ苦しさがついてくる現実がありました。
居場所が変えたもの
そんな中で娘は
バレエという世界から一度離れ、
ダンスの専門学校へ進むことを選びました。
そこには、
さまざまなジャンルのダンサーがいて、
お互いの得意を認め合う環境がありました。
バレエの授業では、
「すごいね」と素直に褒めてもらえる。
それまで、
嫉妬されることしかなかった娘にとって
それは初めての経験でした。
敵ではなく、仲間に囲まれる場所。
その中で、娘は少しずつ変わっていきました。
そして
長く続いた拒食症との闘いを終えることができました。
娘が本当に欲しかったもの
今になって思うのは、
娘が本当に欲しかったのは
「成功」ではなかったということです。
欲しかったのは
認めてもらえる場所
ただ、それだけだったのだと思います。
逃げ場は人それぞれ
人は、苦しくなったとき
どこかに逃げるしかありません。
娘は「拒食」という形で、
心を守っていました。
そして今、
息子はゲームの世界にいます。
形は違っても、
どちらも
その子なりの生きるための選択だったのだと思います。
最後に
拒食症は、理解されにくい病気です。
でもその奥には
言葉にできない苦しさや、
居場所のなさがあります。
もし今、同じように苦しんでいる子がいるなら
「やめさせること」よりも
「守ること」を大切にしてほしい
そう願っています。
▶娘の拒食症の実体験を
詳しく書いた記事はこちら
▶娘の「拒食症」と、息子の「不登校」の
共通点を書いています。
▶逃げる場所は人それぞれです。
息子はゲームに没頭した理由については、
こちらに書いてます。



