第5話 拒食症の娘がバレエ留学へ|いじめから離れ、自分の居場所を探した日々

拒食症

3か月の帰省を終え、
娘は再び厳しい寮生活へ戻っていきました。

あの帰省で、娘は何かを得たのかもしれません。

決まった時間以外にも食べられたこと。
食べたいものを、自分で選んで口にできたこと。

それは、ほんの小さな一歩だったのかもしれません。

けれど、娘にとっては、
自分の中に新しい可能性を見つける経験になったのではないかと思います。

その後の娘は、
厳しい寮生活の中で、
毎日のルーティンを大切にしながら、
真面目に丁寧に過ごしていたようです。

夏休みや冬休みにはコンクールに挑戦し、
発表会にも出演する。

淡々と、目の前のことをこなしていく日々。

当時の私は、
娘が目標に向かって頑張っているのだと思っていました。

けれど、今振り返ると、
それはとても孤独な戦いだったのかもしれません。

厳しい寮生活の中で、娘は孤独と闘っていた

娘は、寂しさを表に出さず、
黙々と自分に厳しいレッスンを課していたと聞いています。

つらくても、寂しくても、立ち止まらない。

バレエを頑張ることが、
娘にとって自分を支えるものだったのでしょうか。

それとも、立ち止まってしまったら、
抱えている気持ちがあふれてしまうのが怖かったのでしょうか。

今となっては、
当時の娘の心の中をすべて知ることはできません。

ただ、娘が自分に厳しくあり続けたことは、確かでした。

そして、3年生になる頃、
娘はバレエ留学を希望するようになりました。

私は最初、
それを卒業後の進路として考えているのだと思っていました。

けれど、娘の様子を見ていると、
もっと切実な思いがあったのではないかと感じるようになりました。

今いる場所から、
一刻も早く離れたい。

そんな気持ちもあったのではないでしょうか。

「いじめが辛い」泣きながら電話をかけてきた娘

娘は寮生活を送っていたため、
電話で話す機会も限られていました。

なかなか電話ができない中、
ようやくかかってきた電話。

その向こうで、娘は泣いていました。

「いじめが辛い」

私は、その言葉を聞いて、
はっとしました。

このままでは、
拒食症がまたひどくなる。

そう感じたのです。

せっかく食べることへの恐怖と向き合い、
少しずつ前に進んできた娘。

けれど、心が追い詰められる環境にいれば、
また食べることが難しくなるかもしれない。

私は、娘をその環境から離す必要があると思いました。

そして、可能な留学先を急いで探し始めました。

当時の娘は、
留学先のバレエのレベルにこだわっていました。

できるだけ高いレベルで学びたい。

その思いは強かったのだと思います。

一方で、親としては、
異国での生活そのものも心配でした。

幸い、長女がすでにカナダで暮らしていました。

知らない国で、
英語も十分に話せない娘が生活することを考えると、
近くに頼れる姉がいることは大きな安心材料でした。

娘はロシアやヨーロッパへの留学も希望していましたが、
残念ながら合格を得ることはできませんでした。

そして、
カナダのバレエ学校から合格をもらうことができたのです。

こうして娘は、
いじめのある環境から離れるように、
カナダへ留学することになりました。

高校在学中だったため、学生としてのバレエ留学でした。

英語が話せない娘が、異国のバレエ学校へ

カナダでの生活は、
日本での寮生活とはまったく違うものでした。

さまざまな国から集まった仲間たち。
年齢も、育ってきた環境も、それぞれ違う人たち。

その中で、娘はバレエを学ぶことになりました。

けれど、英語が話せない娘にとって、
毎日は緊張の連続だったと思います。

レッスンで先生の言葉を理解すること。
仲間とのコミュニケーション。
慣れない土地で、自分の意思を伝えること。

バレエだけに集中していればいいわけではありません。

生活そのものが、挑戦だったはずです。

寮は、日本人だけで女の子4人で生活しました。

ただ、娘以外は社会人で、
研究生としてバレエ団に所属している人たちでした。

高校生の娘だけが、学生として生活していたのです。

寮の中では日本語で話せる。

慣れない英語の世界から離れ、
少しは安心できる場所だったと思います。

けれど、ここでも娘は
「自分だけが外されている」と感じることがあったようです。

環境が変われば、
すべてがうまくいくわけではありません。

日本の寮を出て、
いじめのある環境から離れたとしても、
人との関係に悩むことは続いていました。

それでも、カナダでの暮らしには、
日本では得られなかった自由がありました。

スマートフォンを持てるようになったこと。

近くに長女がいたこと。

バレエの発表会に出演したり、
寮の仲間と交流したり。

外国で自炊をし、
自分が食べたいものを買いに行くこともできました。

長期休みには、
長女と一緒に出かけることもありました。

一つひとつは、
何気ない経験だったかもしれません。

けれど、自分で選び、自分で行動する。

そんな経験を積み重ねられたことは、
娘にとって大切な時間だったと思います。

経験は増えても、「自分の場所」にはならなかった

海外での生活を通して、
娘はさまざまな経験をしました。

日本にいたら、
できなかったこともたくさんあったでしょう。

それでも、
カナダのバレエ学校を卒業した後、
研究生としてバレエ団に入る道は選びませんでした。

私は当時、
娘が何を求めているのか、
よくわかりませんでした。

これだけバレエに打ち込み、
厳しい環境を乗り越え、
海外にまで来たのに。

どうして、
その先へ進まないのだろう。

けれど、
今思えば、
バレエの技術を磨くことだけが、
娘の求めていたものではなかったのかもしれません。

どれほど経験を積んでも、
どれほど頑張っても、
そこが「自分の場所」だと感じられなければ、
ずっと心は休まらない。

娘が本当に求めていたものは、
何だったのでしょう。

安心して自分でいられる場所だったのでしょうか。

それとも、自分を認めてくれる人たちだったのでしょうか。

今でも、はっきりした答えはわかりません。

ただ、娘がその場所で生きていくことを選ばなかったという事実があります。

そして、その選択もまた、
娘自身が自分の道を探していた過程の一つだったのだと思います。

その後、世界はコロナ禍に入りました。

娘が申し込んでいたサマースクールのレッスンもキャンセルになり、
日本へ帰国することになりました。

娘は何を求めて、遠い異国へ向かったのだろう

娘は、留学準備のためでさえ、
実家に戻ることなく、
ギリギリまで高校の寮でレッスンし続け、
羽田空港からカナダへ向かいました。

娘と十分な話しもできず、
ただ、顔を見るために、
私も羽田空港に向かいました。

小さな身体で、大きな荷物を持ち、
見知らぬ土地へ向かっていく娘。

英語も十分に話せないのに。

頼れる人がいつもそばにいるわけでもないのに。

その姿を見ながら、
私は、娘の勇気が自分には到底理解できないもののように感じていました。

そこまでして、何を求めていたのだろう。

当時の私は、
娘が求めているのは、
どこよりも厳しいバレエのレッスンなのだと思っていました。

もっと上手になりたい。
もっと高いレベルへ行きたい。

そうした目標が、
娘を突き動かしているのだと。

けれど、今振り返ると、
それだけではなかったのかもしれません。

日本の寮でも、
カナダでも、
娘は新しい環境へ向かっていきました。

そこで経験を積み、
できることを増やしていく。

それでも、心のどこかに
「ここじゃない」
という感覚があったのかもしれません。

何かを探しても、探しても、見つからない。

立ち止まることが苦手な娘は、
あちこちをさまよっていたのです。

私は、立ち止まってもいいのに、
と思うこともありました。

けれど、娘にとっては、
実際に行ってみなければわからないことがあったのでしょう。

そこへ行ったからこそ、
出会えた人がいる。
そこで暮らしたからこそ、
できるようになったことがある。
離れてみたからこそ、
わかったこともある。

そのすべてが、
娘の人生の一部になっています。

今思えば、
あの時間は決して無駄ではありませんでした。

すぐに答えが見つからなくても。
自分の居場所だと思える場所に、
なかなか出会えなくても。

探し続けた時間そのものに、
意味があったのだと思います。

娘が本当に求めていたものは、
まだわからないこともあります。

けれど、あのときの娘は、
ただ迷っていたのではない。

自分の人生を、
自分の足で歩こうとしていたのだと思います。

次回は
日本に戻ってからの決断を書きたいと思います。

🍃🍃🍃🌸🌸🌸🍃🍃🍃


タイトルとURLをコピーしました