拒食症で入院した娘が退院したのは、中学2年生の夏休みでした。
食べることへの恐怖が残る中、娘は少しずつバレエに戻り、やがてバレエの名門高校への進学を決意します。
親元を離れた寮生活は、想像以上に厳しいものでした。
それでも、思うようにいかない経験の中で、娘は少しずつ新しい一歩を踏み出していきました。
今回は、拒食症の苦しみが続く中で、娘が自分の進む道を選び、寮生活での挫折と小さな変化を経験するまでを振り返ります。
退院しても、拒食症の苦しみは終わっていなかった
娘が退院したのは、中学2年生の夏休みでした。
約100日間の入院生活を終え、ようやく家に帰ってきた娘。
でも、退院したからといって、
すぐに元の生活に戻れるわけではありませんでした。
学校の勉強も取り戻さなければならない。
そして、大好きなバレエにも戻りたい。
バレエの先生から許可されたのは、週に1回のレッスンからでした。
娘の頭の中には、きっと焦りがあったのだと思います。
自分が休んでいる間に、ライバルはずっと先へ進んでいる。
早く追いつきたい。
もっと練習したい。
でも、実際には思うようにレッスンを進められない。
その苛立ちを、私はそばで見守ることしかできませんでした。
娘にとって、バレエはただの習い事ではありませんでした。
自分が自分でいられる場所であり、
認められたい場所でもあったのだと思います。
だからこそ、思うように踊れないことは、
娘にとって大きな苦しみだったのでしょう。
拒食症と闘いながら、次のバレエコンクールを目指す
娘は、次の冬のコンクールに出ることを目標にしました。
目指すものがある。
そこへ向かって頑張る。
それが、娘を前に進ませていたのだと思います。
私は当時、バレエの目標がなければ、
娘は食べることへの苦しさに負けてしまうのではないかと感じていました。
食べることが怖い。
でも、バレエを続けたい。
その二つの気持ちの間で、
娘は必死に踏ん張っていたのかもしれません。
そして、コンクールの日が近づいてきました。
ところが、直前になって娘はインフルエンザにかかってしまったのです。
復帰してから、わずか数日でのコンクール出場。
結果は、入賞できませんでした。
一方、ライバルは入賞しました。
娘は、どんな気持ちだったのでしょう。
悔しかったと思います。
自分が休んでいる間に、ライバルとの差はさらに開いてしまった。
頑張りたいのに、思うように頑張れない。
そんな自分を、受け入れることも難しかったのかもしれません。
でも、インフルエンザにかかったことで、
体力が戻っていなかったのも事実でした。
「病気だったから仕方がない」
そう思うことが、
娘の心を少しだけ守ってくれたのかもしれません。
すべてを自分の努力不足だと思わずに済む理由が、
あのときは必要だったのではないか。
今は、そんなふうにも思います。
娘が次に選んだのは、バレエの名門高校だった
コンクールを終えた娘が、
次の目標として口にしたのは、
クラシックバレエ科のある名門高校でした。
県外にある、全寮制の学校です。
バレエを本格的に学ぶための環境が整っている一方で、
生活のすべてが厳しく管理される学校でもありました。
食事も、生活時間も、持ち物も、お金の使い方も。
自由にできることは、ほとんどありません。
私は、その厳しさを十分に想像できていたわけではありませんでした。
それでも、娘がそこへ行きたいと言うなら、
応援しようと思いました。
娘は、一度自分で決めたことに全力を注がなければ、
心が折れてしまうように見えたからです。
何かを目指すことで、前を向こうとしている。
その気持ちを、私は大切にしたかったのです。
もちろん、病気のことも心配でした。
また苦しくなるのではないか。
今度こそ大丈夫なのだろうか。
不安がなかったわけではありません。
それでも私は、娘が選んだ道を応援することにしました。
「甘やかしすぎ」「過保護すぎ」と言われてきた私
私は、これまで周囲から何度も言われてきた言葉がありました。
「子どもを甘やかしすぎる」
「過保護すぎる」
子どもが困っていれば助けたい。
つらそうなら、そばにいてあげたい。
それが私の自然な気持ちでした。
でも、娘を名門高校へ送り出すとき、私は今までとは違う選択をしました。
県外の遠い土地で行われる学校説明会にも、受験にも、私自身は付き添わなかったのです。
代わりに、長女を一緒に行かせました。
当時、長女は高校2年生。大学見学も兼ねた上京でした。
周りの受験生は、親と一緒に説明会に参加していたそうです。
一人で参加していたのは、娘だけだったと聞きました。
私は、娘を突き放したかったわけではありません。
むしろ、そばにいたら、きっと助けてしまうと思ったのです。
娘は、拒食症になってから、誰にも愚痴を言えずに苦しんできました。
その苦しさが、私への八つ当たりやパニックとなって表れることもありました。
私も、どうしたらいいのか分からず、苦しい思いをしていました。
もし受験のときも私が隣にいたら、娘は困ったときに私を頼るでしょう。
私がいれば、何とかしてくれると思うかもしれない。
そして、うまくいかなかったとき、自分で決めたことなのに、私のせいにしてしまうこともあるかもしれない。
それは、娘にとっても私にとっても、望んでいることではないと思いました。
自分で決めた道なら、成功も失敗も、自分のものとして受け止めてほしい。
そのためには、私がいない場所で、自分の力で決める経験が必要なのではないか。
そう考えたのです。
親がそばにいることだけが、子どもを支えることではない。
ときには、そばにいないことも、子どもを信じる一つの形なのかもしれません。
娘が選んだバレエ高校は、想像以上に厳しい場所だった
娘が入った寮では、生活のすべてが厳しく管理されていました。
体型を維持するために、食事は決められたものを三食食べる。
自由に買い物をすることはできない。
お金も自由には持てない。
必要のないものは持ち込めない。
電話は公衆電話。
荷物を送ることも、親が面会することもできませんでした。
途中で学校を辞める子もいました。
それほど厳しい環境だったのです。
三年間、帰省せずに頑張るつもりだった娘。
それは、娘にとっても、私にとっても、大きな決断でした。
寮生活で再び強くなった「太ること」への恐怖
娘は、5人の同級生と共同生活を始めました。
けれど、そこにも競争がありました。
バレエの技術だけではありません。
毎日測られる体重も、娘にとって大きなプレッシャーになっていったのです。
自分は痩せすぎていると注意される。
その一方で、ほかの子には「痩せなさい」という注意が向けられる。
本来は自分に向けられた言葉ではないのに、
娘には、自分が太ることを責められているように感じられたのかもしれません。
また、太ることが怖くなっていく。
体重を測られることが、
いつの間にか恐怖になっていったのです。
体重測定から逃れようとした娘
娘は、体重が減ると怒られることを恐れていました。
そこで、体重測定の前に水を大量に飲んで、
体重を増やそうとしたのです。
けれど、その結果、
レッスン中にお漏らしをしてしまいました。
学校からは、
「一度、家に帰りなさい」
と言われました。
三年間、帰らないつもりだった娘が、
わずか3か月で帰省することになったのです。
何度も、何度も、思いどおりにいかない。
頑張っているのに、うまくいかない。
娘は、どんな気持ちだったのでしょう。
私も、娘の苦しみを思うと胸が痛みました。
でも、失敗したからといって、
すべてが無駄になるわけではありませんでした。
この帰省は、娘にとって、
思いがけない変化が起きた時間にもなったのです。
帰省中、娘がデザートを食べられるようになった
家に帰ってきた娘は、
デザートをたくさん食べるようになりました。
毎日のようにカフェへ行き、
二人分のデザートを食べる。
それまで我慢していたものを、
次々と食べていったのです。
私は、少し驚きました。
でも、娘にとっては、
寮に戻ればまた自由に食べられなくなるという思いがあったのかもしれません。
「今だけだから」
そう思うことで、食べることができたのでしょうか。
本当の気持ちは、娘にしか分かりません。
「決まった時間以外に食べられた」娘の小さな変化
この帰省中に、
娘は今までできなかったことができるようになりました。
デザートを食べること。
そしてもう一つ、
決められた食事の時間以外に、何かを食べること。
それまで娘は、
「決まった時間以外に食べてはいけない」と、
自分を縛っていました。
ところが、帰省の帰り、
空港のお土産店で試食を食べることができたのです。
そのとき、娘が話してくれました。
「決まった時間以外に食べることができた」
娘にとって、それは大きな出来事だったのだと思います。
健康な私なら、何でもないことです。
お腹がすいたら食べる。
おいしそうなものがあれば、試してみる。
でも、娘には、それが簡単にはできなかった。
食べることには、たくさんの決まりがありました。
その決まりを破ることが、怖かったのです。
だからこそ、試食を食べられたことは、
娘にとって大きな一歩だったのでしょう。
体重が増えたことだけではなく、
食べることへの決まりを、少しだけ自分で緩められた。
私は、その変化を大切にしたいと思いました。
何度失敗しても、娘は少しずつ変わっていた
娘は、何度もつまずきました。
入院し、
退院し、
バレエに戻り、
コンクールで思うような結果が出ず、
新しい高校へ進み、
そこでもまた苦しみました。
そのたびに、私は心配しました。
また駄目だった。
また苦しくなってしまった。
そう思うこともありました。
でも、今振り返ると、
娘はただ同じ場所をぐるぐる回っていたわけではありませんでした。
できなかったことが、
少しずつできるようになっていたのです。
この帰省では、
デザートを食べられるようになりました。
決まった時間以外に食べることもできました。
娘は、大きな成果を得て、再び寮へ戻っていきました。
それは、病気が治ったということではありません。
これですべてが解決したわけでもありません。
それでも、娘の中には、小さな変化が生まれていました。
何度失敗しても、
その経験の中から、
自分なりに何かをつかんでいく。
その繰り返しが、
娘の歩みだったのだと思います。
私は、娘の人生を代わりに歩くことはできません。
失敗しないように、すべてを整えてあげることもできません。
それでも、娘が自分で決めた道を歩こうとするなら、
私はその気持ちを信じて応援したい。
そう思っていました。
娘の挑戦は、まだ終わりませんでした。
この先も、バレエの競争の中で傷つき、
思うような結果が出ず、
何度も壁にぶつかることになります。
そして、娘はやがて、
もう一つの選択をすることになります。
親元を離れ、
海外でバレエを学ぶという選択です。
次回は、娘がカナダへのバレエ留学を決めるまでのことを書きたいと思います。
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