優しい子が傷つく社会は、どこか間違っている

社会への問い

はじめに

私は4人の子どもを育ててきました。

思いやりがあり、人の気持ちをよく考える子どもたちです。

けれど、その優しさが原因で、
思春期にはさまざまな苦しさを経験しました。

いじめ。
不登校。
摂食障害。
受験のつまずき。

子どもたちが苦しむ姿を見ながら、
私はずっと考えていました。

なぜ、優しい子ほど傷ついてしまうのだろう。

そしてある時、
はっきりと思うようになりました。

優しい子が傷つく社会は、どこか間違っている。

優しい子ほど、自分を責める

優しい子は、誰かを責める前に、
まず自分を責めます。

「私が悪かったのかな」

「私が弱いのかな」

「私が我慢すればいいのかな」

そうやって、
本当は傷つけられているのに、
自分の中で理由を探そうとします。

そして周りの大人や社会も、
無意識のうちにこう言います。

「気にしすぎじゃない?」

「もう少し強くなろう」

「うまくやれるようになろう」

けれど本当にそうでしょうか。

本当に変わるべきなのは誰なのか

私はずっと悩んできました。

「この子の育て方が悪かったのだろうか」

「もっと強い子に育てるべきだったのだろうか」

けれど、子どもたちを見ていて
だんだん気づいたことがあります。

この子たちは
弱いのではありません。

むしろ、
人の痛みに気づくことができる、
とても強い心を持っています。

もし優しい子が生きにくいと感じるなら、

それは

子どもが間違っているのではなく、
社会の側に問題があるのではないか。

そう思うようになりました。


「普通」に合わせられない子

学校ではよくこう言われます。

「みんな同じようにできるように」

「普通に頑張ろう」

けれど、世の中には、
感じ方の強い子がいます。

人の気持ちを深く受け取る子。
空気を敏感に感じる子。
正義感が強い子。

そういう子どもたちは、
時にとても疲れてしまいます。

それでも社会は、

「頑張って合わせて」

と言います。

そのたびに私は思います。

合わせられない子が悪いのだろうか。

私がこのブログを書く理由

私は社会を批判したいわけではありません。

ただ、問い続けたいのです。

この社会のままで、本当にいいのだろうか。

優しい子が傷つき、
生きづらさを抱えながら
静かに我慢して生きていく社会。

それが当たり前になっているなら、

私はやはり思ってしまいます。

どこか間違っているのではないか。

優しい子が幸せになれる社会へ

優しい子は弱いわけではありません。

優しさは
本当はとても大きな力です。

人を傷つけない力。
誰かを理解しようとする力。
世界を少しだけ温かくする力。

そんな子どもたちが、
自分を責めながら生きていく社会ではなく、

「そのままでいい」

と言える社会であってほしい。

私はまだ小さなブログですが、
その思いをここに書き続けていきます。

いつか、
優しい子がもっと生きやすい社会になることを願って。

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