第2話 拒食症の娘を救いたかった|母親には見えなかった「痩せたい」という苦しみ

拒食症

娘がどんどん痩せていったとき、私は必死でした。

どうにか食べさせなければ。

どうにか元の身体に戻さなければ。

どうにか、この状態から娘を救わなければ。

そう思っていました。

でも、今振り返ると、
私は娘の「身体」は見ていても、
娘の「心」を見ることができていなかったのだと思います。

娘にとっては、
「痩せたい」という気持ちは、
単なるダイエットではありませんでした。

本人にしかわからないほど大きな苦しみになっていたのです。


食べ方が、少しずつ変わっていった

最初は、ちょっとした食事の変化だったと思います。

揚げ物を食べるときには、衣を外す。

肉を食べるときには、脂身を捨てる。

そして、大量のサラダを食べる。

サラダをたくさん食べないと、気がすまない。

私は最初、
「バレエをしているから、食事に気をつけているのかな」
くらいに思っていました。

でも、それは少しずつエスカレートしていきました。

ある日の食卓で、
私は娘が何かを一生懸命いじっていることに気づきました。

よく見ると、

「ほうれん草の胡麻和え」から、
ごまを一粒ずつ取り除いていたのです。

「何してるの?」

私が聞くと、娘は、

「ごまは油だから」

と答えました。

私は怖くなりました。

ごまを一粒ずつ取るほど、油を避けていたのです。


娘は「自分で調べた知識」を信じていた

娘は、痩せるために、
自分なりにいろいろなことを調べていました。

「これはカロリーが高い」

「これは油が入っている」

「これは食べてはいけない」

そんな知識を少しずつ身につけていきました。

でも、それは専門家から正しく教えてもらった知識ではありません。

図書室の本やバレエ雑誌などから得た情報を
自分なりに組み合わせたものでした。

そして、その知識が、

「食べないための理由」

になっていったのだと思います。

私は何とかしなければと思いました。

娘に食べてもらいたい。

身体を守ってあげたい。

だから私も必死で調べました。

テレビを見たり、本を読んだり、
インターネットで調べたりしました。

そして、

「油は人間の身体に必要なんだよ」

と、娘に何度も伝えました。


「油は必要なんだよ」と必死で伝えた

今思えば、
私は娘と「正しさ」の勝負をしていたのかもしれません。

娘は、

「油は太る」

と思っている。

私は、

「油は身体に必要」

と伝える。

娘が食べない。

私が食べるように言う。

娘が拒否する。

私はまた説得する。

そんなことの繰り返しでした。

私は娘を助けたかった。

だから、正しいことを伝えれば、
娘はわかってくれると思っていました。

「身体には油が必要なんだよ」

「そんなに食べなくなったら身体がおかしくなるよ」

「ちゃんと食べないとバレエもできなくなるよ」

一生懸命、言いました。

でも、娘は聞いてくれませんでした。


会話がキャッチボールにならなかった

当時の娘は、いつもイライラしていました。

私が何かを言う。

娘が怒る。

私がまた説明する。

娘が黙る。

あるいは、反発する。

そんなことの繰り返しでした。

普通なら、

「お母さんはこう思う」

「私はこう思う」

と、お互いの考えを話すことができます。

でも、そのころの娘とは、
それができませんでした。

会話がキャッチボールにならない。

私がボールを投げても、返ってこない。

返ってきたと思ったら、
また別の方向へ飛んでいってしまう。

そんな感覚でした。

私は、

「どうしてわかってくれないの?」

と思っていました。


「太ること」が、私には理解できないほど怖かった

私は娘に、

「食べても大丈夫だよ」

「これくらい食べても太らないよ」

と言いました。

でも、娘の中では、

「食べる=太る」

という恐怖が、とても大きくなっていました。

私には、

「そんなに怖がらなくてもいいのに」

と思えました。

健康な私から見れば、食べることは普通のことです。

お腹が空いたら食べる。

身体に必要だから食べる。

食事は家族と一緒に楽しむもの。

それが当たり前でした。

だから、

「どうしてそこまで食べることが怖いの?」

と思っていました。

でも、娘にとっては、その「怖い」は、
私が想像もできないものだったのだと思います。


娘は、ずっと動いていた

そして、食べることだけではありませんでした。

娘は、ずっと身体を動かしていました。

走る。

ストレッチをする。

バレエの練習をする。

時間があれば動く。

休んでいても、どこか落ち着かない。

後になって娘から聞いた話があります。

当時の娘の中には、

「動かなければいけない」

という感覚があったそうです。

動いていないと、不安になる。

身体を動かしていない自分が許せない。

そんな感覚だったのだと思います。

でも、学校にいる間は、
さすがに自由に身体を動かすことはできません。

そこで娘は、別のことに頭を使っていたそうです。


動けない時間は、頭の中でカロリーを計算していた

娘は、学校にいる間、
頭の中でカロリーを計算していたと言いました。

「これを食べたら何カロリー」

「これは何カロリー」

「今日はこれだけ食べた」

そんな計算をしていたそうです。

今考えると、

身体は休んでいても、

頭の中ではずっと「痩せるための努力」を続けていた

のだと思います。

私は、学校に行っている娘を見て、

「ちゃんと学校にも行っている」

と思っていました。

でも、その時間に娘の頭の中で何が起きていたのかまでは、
知りませんでした。


身体に出ていたサインにも、私は気づけなかった

娘は、いろいろなサインを出していました。

身体が痛いと言う。

疲れている。

髪が抜けて、おでこが広くなる。

でも、体毛が濃くなる。

身体がどんどん細くなって骨が浮き出る。

それでも、本人は動こうとする。

あるときは、
自転車で学校へ向かう途中に転んでしまい、
友達に助けてもらったこともありました。

「何度も転んでいてしばらく動かないよ」
と友達が教えてくれました。

私は、その一つひとつを心配していました。

娘の身体の中で、何か大きなことが起きていた。

怖くてたまりませんでした。


私は「励ますこと」が娘のためだと思っていた

私は娘を励ましました。

「十分細いよ」

「大丈夫だよ」

「またバレエができるようになるよ」

娘が苦しんでいることはわかっていました。

だからこそ、何とか元気になってほしかった。

でも今振り返ると、

私は娘の苦しみを「なくそう」としていたのかもしれません。

娘が苦しい。

だから、苦しくないようにしてあげたい。

食べてほしい。

元気になってほしい。

バレエに戻ってほしい。

その気持ちは、今でも間違っていたとは思いません。

私は、本当に娘を救いたかったのです。

ただ、

「救いたい」という私の気持ちが強すぎて、
娘が今どんな世界にいるのかを理解する余裕がなかった。

そこは、今でも心に残っています。


娘の「痩せたい」は、私が思っていたものとは違った

当時の私は、

「そんなに痩せなくても、十分細いよ」

と言っていました。

でも、娘にはそう見えていませんでした。

どれだけ痩せても、

「まだ太っている」

と思ってしまう。

身体が細くなっても、

「もっと痩せなければ」

と思う。

それは、外から見ている私には、
とても理解できないことでした。

娘の身体を見れば、

「もう十分痩せている」

とわかります。

でも、娘自身には、そう見えない。

この違いが大きすぎて、気が遠くなっていました。


「どうしてわかってくれないの?」と思っていた私

私は何度も、

「どうしてわかってくれないんだろう」

と思いました。

私は娘の身体を心配している。

娘を苦しませたいわけではない。

食べてほしいのは、元気になってほしいから。

それなのに、娘には私の言葉が届かない。

私も苦しくなりました。

でも、娘もきっと苦しかった。

母親から見れば、

「食べればいいだけ」

に見えることが、

娘にとっては、

「食べることが怖い」

という大きな問題になっていた。

同じ食卓を囲んでいても、見えている世界がまったく違っていたのです。


娘はもう、自分のことを自分で決めたい年齢だった

そして、もう一つ。

あのころの娘は、もう親の言いなりになる年齢ではありませんでした。

「こうしなさい」
「これは食べて」
「これはやめて」

そう言われて、その通りにする子どもではなくなっていた。

自分のことは、自分で決めたい。

自分の身体のことも、自分の人生のことも、自分で考えたい。

そんなふうに、大人になる準備をしていた時期だったのかもしれません。

もちろん、拒食症によって「痩せたい」という思いが、
とても強くなっていたことも事実です。

でも、娘の「自分で決めたい」という気持ちまで、
病気のせいにしてしまうのは違うような気がします。

娘には娘の考えがあった。

私とは違う価値観があった。

そして、自分で決めたいという気持ちがあった。

私は「娘を救いたい」という思いから、
正しいことを伝えようとしていました。

でも娘からすれば、

「私は私のことを決めたい」

という思いがあったのかもしれません。

あのころの私は、
娘の命を守ることに必死でした。

だから、娘の「自分で決めたい」という気持ちまで、
病気の一部のように見てしまっていたところがあったのだと思います。

娘は、子どもから大人へ向かっていました。

その途中で、大きな苦しみを抱えてしまった。

私はその苦しみから娘を救いたかった。

そして娘は、自分の人生を自分で歩こうとしていた。

あのころの私たちは、そんな二つの思いを抱えながら、
ぶつかっていたのかもしれません。

私が見ていたのは「食べない娘」だった

今ならわかります。

私は、

「食べない娘」

を見ていました。

でも本当は、

「食べることが怖くて苦しんでいる娘」

がそこにいたのです。

「どうして食べないの?」

ではなく、

「食べることの何が、そんなに怖いの?」

と聞いてあげられたらよかった。

「どうして痩せたいの?」

ではなく、

「痩せなければならないと思うほど、何が苦しいの?」

と聞いてあげられたらよかった。

もちろん、当時の私にはそんな余裕はありませんでした。

娘を失いたくなかった。

だから必死だったのです。


あのころの私には、娘の「心の病気」が見えていなかった

拒食症は、単純に「食べない」という行動だけではありません。

食べること。

体重。

身体の形。

カロリー。

運動。

そして、「自分には価値があるのか」という気持ち。

そういうものが複雑に絡み合って、娘を苦しめていたのだと思います。

私は、娘の身体を元に戻そうとしていました。

でも娘は、

「身体を元に戻すこと」そのものを怖がっていた。

そこに、私と娘の大きな違いがありました。


それでも私は、娘を諦めなかった

どれだけ話が通じなくても。

どれだけ娘がイライラしていても。

どれだけ食べることを拒んでも。

私は、娘を諦めませんでした。

何とか食べてもらおうとしました。

何とか身体を守ろうとしました。

何度も調べました。

何度も話しました。

何度もぶつかりました。

そして、とうとう病院で治療を受けることになりました。

中学2年生の初め。

娘は入院することになります。

そこでは、

「食べること」そのものが治療になりました。

ベッドの上で過ごし、身体を休め、三食を食べる。

けれど、娘にとっては、その一つひとつが恐怖でした。

小さなロールケーキでさえ怖い。

「太る」という言葉が頭から離れない。

そして、私には理解できないほど強い恐怖の中で、
娘は治療を続けていくことになります。


▶次回は、入院した娘が「太ることが怖い」と苦しんでいた日々と、
そのときの私には理解できなかった拒食症の世界について書きます。

▶前回の記事では、娘がバレエの競争の中で、
少しずつ「もっと頑張らなければ」と自分を追い込んでいった過程を書いています。

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