はじめに
上の子がいじめにあった時、
周りの人は優しく声をかけてくれました。
「大丈夫?」
「つらかったね」
社会は、被害者として見てくれていました。
でも、不登校になると空気が変わる
同じように傷ついた結果、
学校に行けなくなったとき
周りの反応は変わりました。
「甘やかしているんじゃない?」
「過保護なんじゃない?」
あのとき味方だったはずの社会が、
今度は親を責める側に変わっていきました。
見えているのは「結果」だけ
いじめの時は、
「原因」がわかりやすい。
でも不登校になると、
見えるのは「結果」だけです。
学校に行っていないという事実だけが切り取られ、
その背景にある
- 人間関係の傷
- 積み重なった我慢
- 安心できなくなった環境
そういったものは、ほとんどみられません。
「不登校=ズルい」といわれてしまう理由
不登校になると、
「ズルい」
「逃げている」
そう言われてしまうことがあります。
でも本当は、
逃げたのではなく、逃げるしかなかった
のかもしれません。
心が限界を迎えたとき、
人はその場から離れることでしか
自分を守れないことがあります。
親が責められる苦しさ
そしてもう一つ苦しいのは、
親が責められることです。
「育て方が悪いのではないか」
「もっと厳しくするべきだったのではないか」
そう言われると、
親自身も
「自分のせいなのかもしれない」
と、強い罪悪感を抱えてしまいます。
本当は、ただ守っているだけ
でも、親がしていることは
ただ一つです。
子どもを守ること
学校に行かせることよりも、
まずは心を守ること。
それを選んだだけなのに、
なぜか「過保護」と言われてしまう。
不登校の親が外に出るのが怖くなる理由
こうした言葉や空気の中で、
親は少しずつ
外に出ることが怖くなっていきます。
何を言われるかわからない。
どう思われるかわからない。
だから、
何も言わずに、静かに距離をとるようになる。
社会に足りないもの
今の社会に足りないのは、
「想像する力」なのかもしれません。
その子がどんな経験をしてきたのか。
なぜそこまで追い込まれたのか。
見えていない部分に目を向けること。
それでも、つぶれないために
社会の目や言葉に傷つきながらも、
親子で日々を過ごしていく中で
私自身、少しずつ気づいたことがあります。
- 子どもの心と身体の健康が何より大切なこと
- すべての人に理解されなくてもいいということ
- 「こうあるべき」という自分の考えを手放すこと
- そして、子どもの強さに気づけた自分を責めなくていいということ
不登校の中で、親がどう考え、どう支えていくかについては
こちらの記事にまとめています。
最後に
いじめも、不登校も、
どちらも
**「子どもが傷ついた結果」**です。
見える形が違うだけで、
本質は同じなのだと思います。
だからこそ、
結果だけで判断するのではなく、
その背景にある苦しさに
目を向ける社会であってほしいと願っています。



