いじめや不登校の話をすると、
「家庭の問題」「その子の問題」と
言われることがあります。
でもそれは、
親になるための教育がないことも、
いじめを生む大きな原因のひとつだと思っています。
親になるための教育が、実は存在しないこと
私たちは、
車を運転する前には教習所に通い、
仕事に就く前には研修を受けます。
でも、
親になるための学びは、ほとんどありません。
親になることは、いきなり始まるのです。
出産の知識や手続きは教えてもらえても、
子どもの心の育ち方や、感情との向き合い方は、
実際に困ってから初めて知ることが多いのではないでしょうか。
うまくできなかった子育ての多くは、
愛情が足りなかったからではなく、
「知らなかっただけ」なのかもしれません。
私は、親を責めたいわけではありません。
私自身も、学んでいなければ、同じように戸惑っていたと思います。
たまたま私は、
大学で子どもの心を学んでから、母親になりました。
その経験が、あとから大きな意味を持つことになります。
児童学科で学んでから母になった私の感覚
私は小さい頃、
はっきりと強い意見を言う同級生が、少し苦手でした。
そのため学校では、大人しく、
あまり自分から話さない子どもだったと思います。
一方で、自分より小さい従妹と遊ぶ時間は、
とても楽しいものでした。
相手の気持ちを想像しながら関わることや、
小さな変化に気づくことが、自然とできたのだと思います。
その頃から、
「私は、同年代よりも、小さい子と関わる方が向いている」
そんな感覚を、なんとなく持っていました。
大学受験のとき、
自分の得意な分野で生きていきたいと考え、
私は児童学科を選びました。
そこで最初に学んだ言葉が、
**「子どもの心はアニミズムである」**
という考え方でした。
子どもは、
物や自然、身の回りのすべてに命が宿っているように感じながら生きている。
その説明を聞いたとき、
私は「子どもの心って、なんて美しいんだろう」と、強く感動しました。
そのころから、私ははっきりと
母親になりたい
そう思うようになり、児童学を必死に学びました。
そして今も、
「子どもの心はアニミズム」
その美しい感性を、失わずにいたいと願っています。
母親になった今も、
子どもたちの言動に戸惑うことはあります。
それでも、
子どもは未熟なのではなく、
違う世界の見え方をしている存在なのだ
そう思えることが、私の支えになっています。
嫉妬心を抱えたまま大人になると、何が起きるのか
嫉妬は、幼い子どもにとって自然な感情
昔、こんなことがありました。
次女が生まれたばかりの頃、
私が授乳をしていると、
1歳8か月だった長女が、
そばにあった哺乳瓶を投げつけてきたのです。
今振り返ると、
これは「意地悪」でも「問題行動」でもありません。
幼児にとって、嫉妬は暴力や意地悪という形で現れる、自然な感情です。
自分の大切な存在が、突然ほかの誰かに奪われた。
幼い子どもにとって、それはとても大きな不安なのです。
嫉妬に気づいたとき、大人にできること
それから私は、
赤ちゃんを背負いながら、
長女の方を向いて話しかけ、愛情を注ぐようにしました。
寝るときも、できるだけ長女の方を向いていました。
「あなたが一番大切だよ」
言葉ではなく、態度で伝え続けたかったのです。
これは、
私が事前に学んでいたから、できたことかもしれません。
もしあのとき、
長女の行動を「悪いこと」とだけ捉え、
怒った態度で接していたらどうなっていたでしょう。
嫉妬が満たされないまま、大人になるということ
嫉妬心に気づいてもらえず、
受け止めてもらえなかった感情は、
消えてなくなることはありません。
満たされなかった嫉妬は、
形を変えて、心の奥に残り続けます。
そして大人になったとき、
自分よりもうまくいっているように見える誰かに向かって、
意地悪や攻撃として現れてしまうことがあります。
いじめの正体は「処理できなかった感情」ではないか
嫉妬心を処理できないまま大きくなると、
人は、無意識のうちに誰かを傷つけてしまう。
いじめとは、そういうものではないでしょうか。
誰かが悪いのではなく、
感情を教わる機会がなかっただけなのかもしれない。
だからこそ、
子どもが嫉妬を抱いたとき、
それを「問題行動」にせず、
「気づいてあげる感情」として受け止めることが大切なのだと思います。
本当は、もっと早く教えられることがある
私は、これまでの経験から
どうしても伝えたい提案が、3つあります。
①親になる前に「親になる学び」をすべての人へ
私たちは、ほとんどの場合、
親になるための教育を受けないまま親になります。
子どもの心をどうやって大切にすればいいのか。
それは、できそうでいて、実はとても難しいことです。
学んでいないからこそ、
いざ子どもの感情に直面したとき、
どうしていいかわからず、焦り、
つい強く怒ってしまうのではないでしょうか。
だから私は、
身体が大人へと変わっていく中学生の頃に、
「子どもの心を大切にするとはどういうことか」
を学ぶ時間が必要だと思っています。
それは、未来の子どもを守るだけでなく、
未来の親自身を守る学びでもあるからです。
②学校に「いつでも行ける避難場所」を用意すること
2つ目は、
学校が「不登校」という状態を、
特別なことではなく「避難」として位置づけることです。
苦しい子どもが、
罪悪感を抱かずに逃げ込める場所。
誰もが、
ある日突然、辛くなる可能性があります。
辛くなってから
「どこに逃げたらいいのか」とさまようのではなく、
最初から「ここに行っていいんだよ」という
安全な場所が見えていてほしい。
それが、子どもの命と心を守ることにつながると思います。
③「逃げていい」と許せる家庭をつくるための親への教育
3つ目は、
保護者が「不登校」という避難場所に嫌悪感を抱かないための、親への教育です。
これは、就学前の保護者にこそ必要だと思っています。
同時に、
「いつでも逃げていいんだよ」
と心から言える家庭をつくること。
それは、甘やかしではありません。
安心できる家庭であることです。
逃げることを許さず、
無理を強いる「厳しさ」は、
子どもの心を静かに押し潰してしまいます。
そして、
行き場のないストレスは、
必ず、弱いものへと向かってしまうのです。
「関係ない」と思っている人へ
「いじめはやったことがありません」
そう言う人にこそ、届けたい言葉があります。
ひとは、みんな、
生まれたときから嫉妬心を持っています。
それは悪いものではなく、
人として当たり前に持っている感覚です。
大切なのは、その感情を「持っていないこと」にするのではなく、
どうやって向き合い、どう抑え、どう扱うか
なのだと思います。
人は一生、
自分の心との戦いを続けていく存在なのではないでしょうか。
だから私は、
「いじめの原因である嫉妬心を、自分も持っている」
という自覚が、すべての人に必要だと思っています。
「いじめはやったことがない」
そう言い切れる人は、本当はいないのかもしれません。
昔から、
人は「弱さや欲を抱えたまま生きる存在」だと言われてきました。
完璧な人はいない。
誰もが優しさや醜さを抱えながらいきている。
だからこそ大切なのは、
自分を責めることではなく、
自分を振り返り、認めることなのだと思うのです。
