優しい子どもは、
なぜこんなにも苦しむのだろう。
そう思っていた私の前で、
長女は自分の人生を、自分の足で歩き始めました。
他人と違うという理由で、いじめに遭う
長女は、幼い頃から
自分の意思をはっきりと持っている子でした。
お姫様に憧れ、
欲しがる洋服は、いつもピンクのひらひらしたもの。
三歳のときには、
「どうしてもお姫様になりたい」と言って、
クラシックバレエを始めました。
最初のいじめは、
小学校一年生のときでした。
学校から帰ってくるなり、
長女は理由もわからないままイライラと怒り始めました。
「傘がここに置いてあるのは、許せない」
私は、さっぱり意味がわかりませんでした。
けれど今思えば、
それは長女なりのSOSだったのです。
「何かあったんだね」
そう声をかけると、
長女は悔しそうに泣き出しました。
仲良しグループだった二人の友達が、
帰り道で自分をのけ者にした、というのです。
私はすぐに先生に相談しました。
話し合いの場が持たれ、
そのときはいったん解決したように見えました。
けれど、
しばらくすると、
また違う形でのけ者にされることが繰り返されるようになりました。
それでも仲直りすると、
またいつものように一緒に遊ぶ。
私はハラハラしながらも、
「女の子同士って、こういうものだろう」
と、自分に言い聞かせていました。
いじめられる場所
中学校に入学すると、
小学校からの友達二人は
女子バスケットボール部に入ると言って、
長女を誘いました。
けれど長女は、
三歳から続けてきたクラシックバレエを大切にしていて、
将来はバレリーナになりたいという夢がありました。
そのため、部活動には入らないと断りました。
そこから、
いじめは本格的になりました。
女子バスケ部の数人が、
廊下ですれ違うたびにコソコソと話し、笑う。
指をさして笑う。
「○○(長女の名前)って、ブスだよね、
って噂をまわしているよ」
そんなことを、
別の友達が教えてくれました。
毎日が、地獄でした。
家に帰ると、
溜め込んだストレスを吐き出すように、
教科書を投げたり、
カーテンをハサミで切ったりすることもありました。
幸いだったのは、
長女は自分の気持ちを言葉にできる子だったことです。
私には怒りの中身を話し、
担任の先生には、
宅習帳の作文に正直な気持ちを書いて伝えていました。
三年生の中頃になると、
精神的にも限界が近づいていると感じ、
このまま受験に向かうのは難しいと判断しました。
そこで、
大人が介入することを決めました。
担任の先生と学年主任のもと、
話し合いの場が設けられました。
その場で、先生が長女に聞きました。
「どうしたい?」
長女は、少し間を置いて、
こう答えました。
「私の前から、消えて」
私は、この言葉の意味がよくわかりました。
謝って欲しかったわけでも、
仲直りしたかったわけでもありません。
ただ、
いじめっ子のいない世界に行きたかったのです。
長女は、
いじめっ子が誰一人行くはずのない高校を選び、そこを受験しました。
新しい場所で、
新しい人生を始めるために、
一日でも早く高校生になりたかったのだと思います。
思いの強い子でした。
勉強に集中し、
優秀な成績で、その高校に合格しました。
「いじめられる場所」から「認められる場所」へ
長女が入学を決めた高校は、
いわゆる進学校ではなく、
公立高校の滑り止めとして受験する人が多い学校でした。
勉強ができる娘にとっては、
物足りないのではないか。
先生や親戚からも、不思議そうな顔をされました。
けれど私には、
長女の決断が意味するところが、
はっきりと分かっていました。
もう、
競争したり、
誰かを蹴落としたり、
憎しみ合ったりする世界で生きるのは、嫌だったのです。
その高校は、
部活動だけでなく、
それぞれの「やりたいこと」を応援してくれる学校でした。
クラシックバレエを続ける自分も、
そのままで認めてもらえる。
そこには、
勉強だけでなく、
様々な特技や個性をもった子どもたちが集まっていました。
「女子バスケに入らないと外される」
そんな思いは、
もう二度としたくなかったのです。
この高校で長女は、
運よく、たくさんの親友に出会いました。
「認められる場所」は、
「必要とされる場所」。
友達と助け合いながら、さまざまな経験を重ね、
長女は、いつも笑っていました。
自信という、強い武器
高校生活を豊かに過ごす中で、
長女は、揺るがない自信を身につけていきました。
そして、
「いつか英語圏で生きていきたい」
そんな夢をかたるようになります。
高校卒業後、
長女はすぐにカナダへ留学しました。
現地の大学に進学し、
経営者になるための勉強を始めました。
今思えば、
長女が留学を望んだ背景には、
日本で感じてきた
同調圧力や生きづらさがあったのだと思います。
カナダに行ってから、
長女は興奮した様子でこう話してくれました。
「みんな、周りの目を気にせず、堂々と目立つ格好で歩いてるよ」
「いろんな国の人がいて、
隣の家はフィリピンの人で、
その隣はブラジルの人なんだよ」
その話を聞いたとき、
私は、日本社会の弱さを思い知りました。
同時に、
自分が認められる場所を求めて、
長女が力強く生きていることが、
嬉しくてたまらなかったのです。
お母さん、私のやりたいことを全部やらせてくれてありがとう
カナダで生活を始めた長女は、
ホストファミリー、先生、友達に支えられながら、
少しずつ、でも確かに自分の力で前へ進んでいきました。
慣れない土地、慣れない言葉。
それでも頼ることを恐れず、学び、挑戦し続ける中で、
同じ志を持つ一人の男性と出会いました。
彼は大企業に勤め、経済的にも安定していましたが、
「このままでは終わりたくない」
「次のステージへ進みたい」
そう考えている人でした。
二人は同じ方向を向いていました。
支え合い、協力し合いながら、
それぞれの夢に向かって歩むことを選んだのです。
そして、先日ーー
長女から一本の連絡がありました。
「結婚することになったよ。
今まで、私のやりたい事を全部やらせてくれてありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥に溜め込んでいたものが、静かにほどけていきました。
正直に言えば、
「無理かもしれない」と思った瞬間は、
一度や二度ではありませんでした。
私たち両親は、経済的に余裕があるわけではなく、
長女の下には、まだ3人の子どもがいます。
私立高校も、留学も、
今のように十分な国の補助がある時代ではありませんでした。
諦める理由なら、いくらでもありました。
それでもーー
娘が言ったのです。
「大人になったら、必ず返すから。
奨学金を借りてでも、挑戦したい」
その真っ直ぐな目を見たとき、
応援しないという選択肢は、
私たちの中にはもう残っていませんでした。
物語の主人公は、必ず苦悩からはじまる
3歳の時の夢は「お姫様になりたい」でした。
夢がかなうというのは、
自分に正直に生きる強さを、最後まで手放さなかった人のことなのだと思います。
長女の小学校1年から9年間に及んだいじめ。
次女の拒食症。
長男の受験不合格。
そして、今も続いている次男のいじめ被害。
子どもたちの苦しい姿を、私は何度も何度も見てきました。
「どうしてうちの子はみんな不幸なんだろう」
その疑問は、
「自分は親として失格なのではないか」
という思いと重なり、
20年近く、答えの出ない迷路をさまよっているようでした。
そんな私に、長女がくれた答えがあります。
「最高のお母さんだよ」
その言葉は、
回復した次女や、前を向いて生きる長男の姿によって、
確かなものになっていきました。
長女と次女が一番苦しかった中学時代。
今、次男はまさに、同じ場所に立っています。
苦しくてたまらない日々を、親として見守っています。
親に、子どもの苦しみを取り除くことはできません。
でも、できることはあります。
それは、
優しさは弱さではなく、強さになると信じて、
苦しいときに、そばに居続けること。
次男はHSCで、長女のように自分の思いを言葉にすることができません。
それでも、大丈夫。
優しさは、必ず自信になり、強さになります。
なぜなら、
主人公の物語は、いつも苦悩から始まるのですから。
※このシリーズは、ここで一区切りです。
今まさに苦悩の中にいる方に、いつか必要な言葉が届きますように。
【優しさが強さになるとき】シリーズ全5話
第1話 支配は無意識に受け継がれる ~気づいた人から、連鎖を断ち切るために~
第2話 反抗期は必要 ~子どものストレスを受け止められるのは、親だけ~
第3話 娘と共に拒食症を乗り越える ~「いじめられる場所」ではなく「認められる場所」を求めて~
第4話 「どうしてうちの子はみんな不幸なんだろう」 ~母自身の苦悩と、優しさに気づくまで~
第5話 信じるしかなかった ~物語の主人公は、必ず苦悩からはじまる~

