支配は無意識に受け継がれる ~気づいた人から、連鎖を断ち切るために~

いじめ・不登校と子どもの心

夫に時間を管理されていると感じることがあります。

「暇なら掃除したら」

そんな何気ない一言に、胸がざわつくのです。

それは、命令ではないかもしれません。
でも、私の時間を「評価」されているように感じてしまう。

そして気付けば、
私自身も子どもに同じことをしていました。

「今暇なら宿題したら」

支配は、意図せず受け継がれていきます。

家庭内で無意識に受け継がれる「支配」。
夫婦関係から子どもへの影響、反抗期や不登校を通して気づいたのは、連鎖を断ち切れるのは「気づいた人」だけだということでした。
これは、子どものストレスが教えてくれた私自身の記録です。

見えない支配が家庭に入り込むとき

私が嫁いだ頃、
男尊女卑という言葉は、特別なものではありませんでした。

義父に怒鳴られることも、行動を制限されることも、
「そういうもの」だと思われていた時代です。

嫁は黙って従うもの。
家の空気を乱さないことが最優先。

私も、たくさんの制限を受け入れてきました。
それが普通で、疑問を持つことすら、わがままだと感じていたのです。

でも今振り返ると、
それは「教育」でも「しつけ」でもなく、
ただの管理だったのかもしれません。

夫が妻の時間を管理するということ

私たち夫婦は男尊女卑の時代のなかで育ってきた人間です。
夫も義父と同じように、私の行動を制限してきました。
そして、私がすることを先回りして指示します。

「暇なら掃除したら」

義父がしてきたことを夫は無意識にやってしまうのです。

私は夫の指示を受けてイライラします。
「今忙しくて暇ではありません」
心の中で怒鳴っています。
本当に大きなストレスに感じます。

私はストレスをどのように解消すればいいのでしょうか。

妻が子どもを管理してしまう理由

ある日、次男が学校に行けなくなりました。
私は次男の気持ちを理解しようと、子ども目線で物を見たとき、子どもが見ている世界が見えたのです。

次男は癇癪をおこした時、私を罵ってきます。
「お母さんはいつも命令する。」

確かに。
「今暇だったら宿題したら?」
「ダラダラしてないで、外で運動したら?鍛えて強くならないと。」

思春期が早くきた次男に平気で毎日言ってた言葉。
それは、私が毎日言われて怒りが沸いた言葉と同じ。

私もまた子どもを監視しながら時間を管理していたのです。

息子が私に気付かせてくれた、私の失敗でした。

行き場を失った子どものストレス

私が夫から指示されたり、
時間を管理されていると感じたときに覚える苛立ち。

次男も同じような感情を抱えていたのだと思います。

私はその苛立ちを、
無意識のうちに、より弱い立場である子どもに向けていました。


支配は、
父から母へ、
母から子へと、
形を変えながら流れていきます。

そして最後に、その重さを受け止めるのは子どもです。

行き場を失ったストレスは、
いつか別の形で外に出ようとします。

もし、さらに弱い立場の存在があったなら、
それが「いじめ」という形になっていた可能性も、決して否定できません。

兄弟がいなくても、学校という集団のなかでは、
自然と上下関係が生まれやすいものです。

だからこそ私は、
家庭で親に向かって感情をぶつけることを、
「反抗期」という問題行動として切り捨てるのではなく、
行き場のないストレスを吐き出すための、
大切な通過点だと捉えています。

家は、
子どもが一番安全に感情を失敗できる場所であってほしい。
そう思うのです。

この連鎖を止められるのは、
その存在に気づいた大人だけなのだと思います。

連鎖を断ち切れるのは「きづいた人」だけ

無意識に行っていた、私の子どもへの支配。

そのことに気づかせてくれたのは、
次男でした。

次男は、癇癪を繰り返すほど、
行き場のないストレスを抱えていました。

そして不登校になったことで、
私は初めて、自分自身を振り返ることができたのです。

子どもは、
親に何かを気づかせるために苦しむ存在ではありません。
それでも結果として、私は次男の苦しみから多くを学びました。

もう、立派な大人になろうとしているこの時期に、
子どもの時間や感情を管理してはいけない。

そう、心から思いました。

そして、もう一つ大切だと感じていることがあります。
それは、
夫に管理されていると感じたとき、
「それは嫌だ」と言葉にして伝えることです。

人の気持ちを変えることはできません。
けれど、自分の気持ちを伝えることはできます。

勇気をもって意思を示す姿は、子どもにとって、
「嫌だからやめて」と言ってもいいのだという、
何よりの手本になるかもしれません。

連鎖を断ち切るというのは、
誰かを責めるのではなく、
自分の選択を変えることなのだと思います。

気づいた人から、静かに変えていけばいい。
それで十分だと、今は思っています。

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