HSP母の娘と共に拒食症を乗り越える

思春期

拒食症の子どもを育てたらこうなった

次女は三歳から姉と一緒にクラシックバレエを習ってました。
コツコツ陰で努力するタイプで、運動神経抜群、持久走も常に上位。
異変があったのは中学生になったころです。

拒食症になった

ある日、バレエの先生から電話がかかってきました。
「痩せすぎているから見に来なさい」
レッスンを見学する保護者もいますが、私は小さい子がいるので見学はしていませんでした。
私は心臓がバクバクなりだし、レッスン場に飛んで行きました。
そこで見た我が子は私の知らない姿でした。

通院から入院

次女はバレエの先生からレッスン回数を制限され、病院を受診する気持ちになりました。
はじめは心療内科に通院でしたが、症状は回復どころか徐々に悪化。別の病院で入院することになりました。

100日間の入院生活。はじめはベットの上で動かない生活。
動かない=太る
食べる=太る
当時の次女は『痩せたい』という目標だけに向かっていました。
好きだったバレエよりも。。。
私は何か夢を持たせたくて、
「治ったらディズニランドに行こうね。」
といったのですが。
「行きたくない。」
と、答えました。

ストイックな努力

病院は体重を基準に入院や退院が決まります。
一度退院しても目標が「痩せる」である限り、拒食を繰り返します。

「拒食症患者の脳は痴呆症患者と同じように脳が委縮している」

とお医者さんに教わり正常な判断が出来なくなっているのだと納得しました。
知識がない子どもが自己流のストイックな努力をすることは危険です。
専門家の知識のもと、ストイックな努力をするべく、バレエ専門の学校に進学しました。

環境さがし

常に基準値ギリギリもしくは下回る体重。
拒食症との闘いは、いじめとの闘いでもあったように思います。
運動神経が良いことで、妬まれて意地悪をされることが多々ありました。
優しい為、言い返したり、愚痴を漏らしたり一切しない次女。
いじめの逃げ場が拒食でした。
環境を変えるためにバレエ留学をしましたが、そこでも日本人のお姉さんにいじめられ、一年で帰国しました。

拒食症の完治

次に進んだのは、ダンス専門学校でした。
様々なジャンルのプロダンサーを目指す場です。
次女はやっとみんなに認めてもらえる居場所を見つけました。
今まで妬まれることしかなかった自分がバレエの授業の時は
「すごいね」
と褒めてもらえます。
みんな素直に相手の得意なジャンルを褒めあいます。
みんな敵ではなく、仲間です。
仲間に囲まれて、次女の拒食症は治っていました。

今、次女の夢は「ディズニーのダンサーになること」です☆

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